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宮町遺跡 第29次発掘調査 現地説明会 資料

|説明文|遺構配置図中央区画推定変遷図続日本紀より

とき 2001年11月17・18日

1.調査名称 宮町遺跡第29次発掘調査
2.調査地 滋賀県甲賀郡信楽町大字宮町
3.調査面積 2,600平方メートル
4.調査期間 平成13年4月20日〜平成13年12月末(予定)
5.調査主体 信楽町教育委員会 教育長 藤井 克宏
6.調査指導 紫香楽宮跡調査委員会
7.調査担当 信楽町教育委員会 生涯学習課

8.調査位置
 調査地は、宮町盆地のほぼ中央に位置し、故足利健亮先生がほ場整備前の旧地割畦畔から中心建物があった可能性を指摘されていた場所になります。
 また、奈良時代の遺構配置では、第28次調査の西脇殿東側に相当します。

9.調査の概要
東脇殿 … 桁行(けたゆき)5間(けん)以上(19.9m)×梁行(はりゆき)4間(11.9m)
 第1トレンチ南半で検出した南北棟の建物です.
 建物全体を確認したものではありませんが、建物の建築様式や柱間寸法が「西脇殿」と同様であることや他の建物との相互の位置関係から、区画の東西で対称をなす「東脇殿」と推測しています。また東西脇殿の建物中軸間の距離は113.2m(約378尺)あります。
建物I… 桁行5間以上(20.8m)×梁行4間(11.9m)
 第2トレンチ南半で確認した7間四面の東西棟の掘立柱建物です。
 この建物は、検出した東端の柱掘形を基点に東西脇段の中軸線で折り返せば、東西9間(125尺)となり中心区画の主要な殿舎(でんしゃ)と維定されます。
 中心区画内での建物位置は、南北方向については、建物北辺が脇殿北辺より約0.75m北にあり、東西方向については、脇殿間のほぼ中央にあります。
建物II … 桁行9間(26.7m)×梁行4聞く11.9m)
 第2トレンチ北半で検出した7間四面の東西棟の掘立柱建物です。
 この建物は、残物Iに関連する殿舎と推定されますが、すこし建物規模が小さくなっています。
 中心区画内での建物位置は、南北方向については、建物Iから26.7m(90尺)北にあり、東西方向については、建物Iと中心をそろえて並びます。
塀・門… 塀 検出長22間(65.3m)・門 桁行5間(14.6m)×梁行2間(5.6m)
 第2トレンチ北半で検出した塀と門で、柱掘形の重複関係から建物IIを撤去した後、造られたことがわかります。
 また、脇殿間の中軸線上には、間口5間の門が設けられています。

10.まとめ
1)紫香楽宮の「朝堂」を発見

 今回確認した区画は、左右対称に配置した長大な2棟の南北棟と中央の複数の東西棟で構成されていたことが判明しました。
 このような建物配置は、古代の宮殿や役所の中核部分で多く確認されていることや今回の建物規模から考えると、この区画が紫香楽宮の中心区画であると断定でき、『続日本紀』の天平17年(745)正月7日の条に「百官の主典(さかん)以上を朝堂(ちょうどう)で宴(うたげ)す。」
と記載されている「朝堂」とは、この区画を指している可能性が高いものと考えられます。
 また今回の区画に類似した建物配置をもつ平城宮の馬寮東方東区の遺構(「西池宮」の有力な推定地)では、建物Iが後殿の場所に相当することから中心建物は建物Iの南側にあった可能性があります。

2)中心区画のプラン
A 建物の配置プラン

 現地での測量結果や脇殿の長さが旧畦畔の地割から27間(112.3m)と予測されることから中心区画の建物群の配置を図にすると、I期の建物配置は一辺380尺を基準に精密に造営されたと考えられます。
B 2つの造営時期
今回建替え痕跡が見つかったことで紫香楽宮には2つの造営時期があることが判明しました。(2ページ左の図 I期・II期)
 紫香楽宮での造営時期を『続日本紀』などの文献史料で検討すると
(1) 天平14年(742)8月の紫香楽宮造離宮司の任命以降
(2) 天平15年(743)12月の恭仁宮造営停止以降
(3) 天平17年(745)5月の平城官還都以降
 の3時期が考えられますが、今回の2時期の遺構がいずれの時期に相当するか、今後も調査を継続した上で検討する必要があります。

説明会資料は11月19日より信楽町教育委員会のホームページで公開しています。
(アドレス http://www.biwa.ne.jp/~shi-kyoi/bunka.htm

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