TOP
配付資料
写真館
ムービー
音声ファイル
平城宮第一次大極殿院 西楼の調査

調査の概要検出遺構出土遺物まとめ
奈良時代後半の平城宮と宮内の主な楼閣建物の位置木簡釈文史料付録

平城第337次調査現地説明会資料
8020518奈良文化財研究所 平城宮跡発掘調査部

  大極殿は、天皇の即位式や元日朝賀をおこなったり、外国の使節をもてなすなど、国家的な儀式をおこなうときに天皇が出御する、宮城の最も重要な建物です。
 奈良時代前半の大極殿を中心とする区画(第一次太極殿院)の復原整備が、文化庁の事業として、昨年からすすめられています。今回の調査は、この復原整備事業のためのデータをあつめること、そして第一次大極殿院の南辺付近の変遷過程を解明することを目的としています。
 これまでの調査で、第一次大極殿院の南辺は築地回廊(付録参照)がめぐり、中央に正門である南門が開き、その東側には楼閣建物(東楼)があったことがわかっています(第77次調査、1973年)。zumen1 zumen2

*東楼:桁行5間(4.58m等間)、梁行3間(3.84m等間)。建物の外側の柱は掘立柱、内側の柱は礎石建ち(付録参照)。
外側の柱のうちの1本が出土しており、平城宮出土例中、最も太い(直径75cm、表参照)。
遺跡名
柱の直径(cm)

第一次大極殿院東楼
法華寺旧境内
法華寺旧境内
西隆寺
法華寺旧境内
法華寺旧境内
法華寺旧境内
西隆寺
内裏外郭北方
内裏外郭北方

75
56
56
56
54
53
52
50
50
50

 平城宮の中心施設は東西対称に配置されることが一般的ですので、東楼と対称の位置に、同じ構造、規模をもった楼閣建物があると考えられてきました。はたして、これまでの推定は正しいのか、この点が注目されます。
 なお、この東・西楼は、平城宮出土木簡に見える「東高殿」「西高殿」にあたるものと考えられています。また、『続日本紀』に聖武天皇が宴会を催したことが記されている「南高殿」もその総称で、平城宮内でも重要な施設だったことがわかります(史料参照)。
 今回の調査では、第一次大極殿院の南面築地回廊と西楼の推定位置に1278平方メートルの調査区をもうけました。昨年の10月から調査を始めましたが、1月にいったん中断し、4月1日から調査を再開しました。今後もしばらくは調査が続きます。

調査の概要検出遺構出土遺物まとめ
奈良時代後半の平城宮と宮内の主な楼閣建物の位置木簡釈文史料付録

TOP
配付資料
写真館
ムービー
音声ファイル