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興福寺中金堂院回廊東南の調査

はじめに/中金堂院の歴史と回廊の構造回廊基壇/基壇外装と雨落溝階段と門回廊の柱間寸法と中金堂院の設計近世以降の遺構/出土遺物/おわりに興福寺略年表
図:興福寺回廊図:東面回廊 階段平面図遺構平面図既発掘区遺構全図

平城第347次調査 現場説明会資料 020831
興福寺中金堂院回廊東南の調査
法相宗大本山   興福寺
奈良文化財研究所 平城宮跡発掘調査部

回廊の柱間寸法と中金堂院の設計

 東面回廊の東北隅の礎石と南東隅の礎石間の距離を実測したところ65.13mありました。これを奈良時代の尺に換算すると220尺となります。東面回廊の柱間は全部で17間ですから、中央の柱間は北からも南からも9間目のところにあたるわけですが、今回確認した門はそれより1間南で、門は回廊の中央ではありません。門の中心軸から、最北端の柱と最南端の柱との距離をそれぞれ実測してみると、門以南は100尺、門以北は120尺というキリのいい数字になります。そして門を境に以北と以南の桁行柱間寸法がことなっているのです。南北隅の2間分は回廊の梁行に合わせて12尺ですが、門以南の桁行柱間は13.8尺、門以北は約12.7尺(12 5/7)となります。
 ここで回廊の設計の順序を考えてみますと、まず東面回廊の全長を220尺と設定し、門の位置を決めて、門を基準にその北と南を120尺と100尺に分けます。120尺と100尺からそれぞれ隅部2間分の24尺を引き、さらに門の柱間14尺の半分、7尺を引いた値、北89尺、南69尺をそれぞれに必要な間数で割り振る。門の南北で桁行寸法が異なる理由は門の位置が南にずれていることにあることがわかりました。つまり門の位置は回廊を設計するための基準となっているのです。さらに門の中心軸を東西に伸ばすと東金堂と西金堂の中心に一致します(写真:階段中央から東金堂を望む)。東西の金堂は中金堂院よりおくれて造営されていますから、この両金堂は門からのびる軸線を基準に設計されたことがわかります。したがって門を基準とする中金堂院の東西軸線は周辺の伽藍を設計する際にも基準となっていたと考えられます。

はじめに/中金堂院の歴史と回廊の構造回廊基壇/基壇外装と雨落溝階段と門回廊の柱間寸法と中金堂院の設計近世以降の遺構/出土遺物/おわりに興福寺略年表
図:興福寺回廊図:東面回廊 階段平面図遺構平面図既発掘区遺構全図

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