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平城第365次調査(旧大乗院庭園)

調査の経緯と経過旧大乗院庭園について調査の成果検出遺構 北区検出遺構 南区略年表

奈良文化財研究所
2003年11月15日(土)

 今回の調査で検出した遺構について時期ごとに説明します。ここでは便宜的に、江戸時代と考えられる遺構をI期、明治時代以降と考えられる遺構をII期と区分します。また北区では、大きく分けてI期の中で3つ、II期の中で2つの面で遺構を検出しているので、これらを時代順に、I−1〜3期、II−1〜2期と区分します。

北区

I期 江戸時代の遺構

I-1期

黄白色の粘質土上面で検出した遺構。隣接する第318次(平成13年度)および第336次調査(平成14年度)の遺構検出面にあたる。この面では数多くの遺構が重複して確認され、短い時期にこの場所で作庭がくり返された様子がうかがえる。

礫敷 最下層で検出したL字型をした礫敷。直径5cm大の礫を黄白色土の面から切り込む溝の底にならべて埋めている。用途は現段階では不明。南北溝調査区を南北へつらぬく深い溝。調査区の南際で西にまがる。隣接する第318次調査区との関係から南から北へくだる溝と思われる。

塀立柱建物 調査区中ほどに位置する東西4間・南北2間の掘立柱建物。柱穴の底には20cm大の礎盤石をおく。遺構の重複から判断すると南北溝より新しい。

黄漆喰面 部分的にみられる黄橙色の漆喰による舗装面。部分的にしかのこらないので詳細は不明だが、掘立柱建物にともなうものの可能性がある。

漆喰池(318次調査区) 第318次調査で検出した、地底と壁を黄橙色の漆喰でかためた池。上述の黄漆喰面とよく似た漆喰を用いており、同時期のものの可能性が高い。

I-2期

茶灰色の砂質土上面で検出した遺構。『大乗院四季真景図』が描く時期と対応し、「閑眠亭(かんみんてい)」を中心とした庭園施設の一部と考えられる。

瓦敷面  平瓦を東西に敷いた舗装面。「開眼亭」近辺に設けられた園路であろう。

瓦詰め溝 幅10cm・深さ15cm程の溝に、瓦を割って詰めた溝。側面は瓦を小端立てにおく。
構造から判断して上部には土をかぶせていた可能性がたかく、周辺の湿気ぬきと考えられる。

瓦小端立て遺構 I-2期とI−3期の中間で検出した遺構。側面に瓦を小端立てにならべて方形および円形の遺構をかたち作る。現在のところ性格は不明。庭園の造作に関係するものと考えられる。

I−3期

よくしまった橙褐色の砂質土上面で検出した遺構。『大乗院殿境内図』が描く時期と対応すると考えられる。

東西石列 30cm大の石を東西に2列ならべた遺構。その構造や壁面にのこる崩落の痕跡から築地塀の基底部であることがわかる。その位置は『大乗院殿境内図』にみえる東西築地塀とほぼ一致する。

叩き漆喰面 東大池の沿岸部にのこる黄白色の漆喰による舗装面。東大池東岸の調査(第275次・第278次調査)でも同様の舗装面を検出しており、沿岸をめぐる園路と推定している。

築山状遺構 東西石列の北側をかたち作る、積土によって形成された築山状のたかまり。『大乗院殿境内図』では、この位置に松がおい茂る小山が描かれている。

II期 明治時代以降の遺構

II-1期

大乗院が廃絶となる明治初年から、奈良ホテルが建設される明治40年頃までの間の遺構。

南北石列 20cm大の石を南北に1列ならべた遺構。西側には控柱を立てた柱穴がのこる。その位置から、御殿が個人宅となった時に、宅地と東大池を区切るために設けられた板塀と推定できる。

埋がめ遺構 築山状遺構の南に設けられた、埋がめの周辺を黄白色の漆喰で固めた遺構。その構造からは便所である可能性がある。

排水暗渠埋設溝 調査区を斜めにはしる巨大な溝。東大池の水を北西に排水する暗渠がとおる。明治20年頃に荒池の造成にともなって設けられた可能性が高い。

II-2期

明治42年の奈良ホテルの開業以降、現在にいたるまでの遺構。

廃棄土坑 廃棄物を投棄するために設けられた土坑。ガラス瓶やグラス、煉瓦片など近代の遺物が多数出土。

テニスコート整地面 昭和20年(1945)奈良ホテルが米軍に接収された際に設けられたテニスコートの基礎部分。

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