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芝山遺跡

説明文調査地位置図調査地配置図A地区遺構図掘立柱建物跡群変遷図A地区出土遺物

芝山遺跡 現地説明会資料
2003年8月2日
財団法人 京都府埋蔵文化財調査研究センター
遺跡名称 芝山遺跡
所在地  城陽市富野上之芝
調査主体 (財)京都府埋蔵文化財調査研究センター
調査担当 調査第2課調査第3係長 石井清司
          専門調査員 竹井治雄
            調査員 柴暁彦
調査期間 平成15年4月16日〜8月28日(予定)
調査面積 約1,800平米

1.はじめに

 今回の調査は、府道の建設に伴い、京都府宇治土木事務所の依頼を受けて平成13年度から実施しているもので、昨年度はD・E地区で8世紀後半〜9世紀初頭の掘立柱建物跡を、F地区では、一辺約17mを測る5世紀後半の方墳を確認しました。
今回の調査地は事業地北端のA地区で、古墳時代後期〜奈良時代の竪穴式住居跡・古墳・掘立柱建物跡群を検出しました。なお、調査にあたっては、京都府教育委員会・城陽市教育委員会ならびに地元住民の方々のご指導やご協力をいただきました。

2.調査の概要

 今回の調査では、古墳時代後期の竪穴式住居跡と円墳や木棺墓・土器棺墓、飛鳥〜奈良時代にかけての掘立柱建物跡群を検出しました。

(1)古墳時代の遺構

竪穴式住居跡 SH364273の3基を検出しました。いずれも方形で、東辺の中央に作り付けの竃があります。竪穴式住居跡のうち、SH73からは6世紀末〜7世紀初頭の遺物が出土しています。

木棺墓SKO5 長辺2.4m、短辺0.9m、深さ0.4mを測り、掘形内に1.8×0.9mの木棺痕跡を確認しています。棺外からは須恵器杯身、棺内からは滑石製紡錘車が出土しました。

土器棺墓SK82 長軸1.35m、短軸0.75m、探さ0.7mを測り、墓壙内から長胴の土師器甕が、2個体を合わせ口にした状態で出土しました。

古墳(SD120 調査地南端で検出した直径約16mを測る円墳で、噴丘の大半は飛鳥時代以降の掘立柱建物跡群の造営によって削り取られ、埋葬施設は残っていませんでした。

(2)飛鳥〜奈良時代の遺構

 飛鳥時代以降の遺構には掘立柱建物跡群と溝があります。この掘立柱建物跡群ではその主軸から、ほぼ真南北に主軸をもつ建物群と、主軸が西に振れる建物群の2群に大別されます。ここでは前者をA建物群、後者をB建物群と呼称して説明します。

A建物群 A建物群は、3間×7間の東西棟の掘立柱建物跡SB100を中心に、その西側には南北棟のSB32が、北側にはSB3199の2棟の東西棟の建物が並びます。東側には南北棟のSB101があり、SB100を中心に「コ」の字形に掘立柱建物跡が配されています。この「コ」の字形配置の建物群の前面には、掘立柱建物跡SB102103105が、東側にはSB124の総柱の掘立柱建物跡群があります。「コ」の字形建物群の北側にも掘立柱建物跡SB70などがあります。A建物群の掘立柱建物跡の中には、掘形を2個以上をつないで掘る布掘り工法のものがあります。掘立柱建物跡SB32の西側には幅約1.2mの浅い溝状の落ち込みがあります。

B建物群 B建物群は、「コ」の字形建物群の前面には、SB104108109などの南北棟の掘立柱建物跡があります。

3.出土遺物(別ウィンドウに表示)

 1・2は木棺墓SK05から出土したもので、1は須恵器杯身、2は滑石製紡錘車です。3〜7は竪穴式住居跡SH73から出土した須恵器蓋と土師器甕などです。8・9は棺に使われた長胴形の甕2点で、合わせ口にして使用されていました。10は掘立柱建物跡SB32の掘形内から出土した須恵器杯、11〜15は、同建物跡の西側に掘られた溝SD91から出土した須恵器杯や蓋です。16はSB34から出土した須恵器蓋、17・18は土坑SK06から出土した須恵器杯と平瓶です。19はSH36から出土した土師器皿です。20はSB108から出土した須恵器蓋です。

4.まとめ

  1. 今回の調査地では、古噴時代後期(6世紀後半頃)の集落と古墳を検出したほか、飛鳥〜奈良時代にかけての掘立柱建物跡を14棟以上検出しました。
  2. 掘立柱建物群の造営に際して、古墳を削るとともに周溝の窪みを整地したと考えられます。その整地層からは7世紀末〜8世紀初頭の遺物が出土しており、この時期に掘立柱建物群の造営が開始されたと考えられます。また、掘立柱建物跡SB108や溝SD91の出土遺物からみて、8世紀後半までに廃絶したものと考えられます。
  3. 掘立柱建物跡は、建物の主軸方位から、真南北を向くA建物群と西に振れるB建物群に大別されます。B建物群に属する掘立柱建物跡SB108で出土した遺物から、B建物群がA建物群よりも後で造られたと考えられます。
  4. 先行するA建物群は、掘立柱建物跡SB100を中心に企画性をもって「コ」の字形に建物が配されており、南面には3棟の倉庫棟があります。
  5. A建物群では、出土遺物が少なく、その造営時期については明確ではありませんが、建物配置をみると、掘立柱建物跡SB3199と掘立柱建物跡SB70が近接していること、また、掘立柱建物跡SB100の東側で南北に並ぶ掘立柱建物跡SB101とSB105が、東側のみに柱筋を揃えていることからみて、2時期に分かれる可能性が高いと考えています。
  6. A建物群のように企画をもって整然と配置された建物群は、古代の役所に関係した施設の一画の可能性が高く、その規模などから地方の行政区画である郡(ぐん)(評(ひょう))の役所、地方との連絡に使う駅馬を備えた施設(駅家(うまや))、有力な在地豪族の居宅(館)などが考えられます。

掘立柱建物跡規模一覧表

遺構名 分類 方位

棟方向

建物規模 堀形規模(一辺)
SB31 A群 真北 東西 桁行6間(12.6m)×梁間2間(4.2m) 0.6〜0.9m
SB32 真北 南北 桁行7間(15.6m)×梁間2間(3.5m) 0.7〜0.9m
SB70 真北 東西 桁行3間(6.3m)以上×梁間2間(4.2m) 0.8m
SB87 真北 南北 桁行4間(6.5m)以上×梁間2間(3.6m) 0.5m
SB99 真北 東西 桁街3間(5.4m)以上×梁間2間(4.2m) 0.6〜1.0m
SB100 真北 東西 桁街7間(14.6m)×梁間3間(4.8m) 0.6〜1.0m
SB101 真北 南北 桁行3間(4.21m)以上×梁間(3.6m) 0.6〜0.9m
SB102 真北 南北 3間(5.0m)×3間(4.2m)総柱 0.7〜1.0m
SB103 真北 南北 3閤(5.4m)×3間(4.4m)総柱 0.7〜1.0m
SB105 真北 南北 桁行6間(12.6m)×梁間2間(4.8m 0.5〜0.9m
SB124 真北 総柱? 2間(3.6m)以上×2間(3.6m)以上 1.0m
SB104 B群 N−23°一W 東西 桁行6間(11.6m)×梁間2間(5.0m) 0.8〜1.0m
SB108 N−26°−W 東西 桁行3間?×梁間2間(3.6m) 0.5m
SB109 N−19°−W 南北 桁行4間以上×梁間1間以上 0.6〜1.0m
SB03 その他 N−35°−E 東西 3間(4.4m)×2間(3.9m)総柱 0.6m
SB33 N−45°−W 南北 桁行2間(5.0m)×梁間2間(3.6m) 0.5〜0.7m
SB34 N−10°−W 東西 桁行4間(7.3m)×梁間2間(3.0m) 0.3〜0.5m
SB88 N−5°−W 南北 3間(4.4m)×2間(4.2m)総柱 0.5〜0.6m

説明文調査地位置図調査地配置図A地区遺構図掘立柱建物跡群変遷図A地区出土遺物

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