史跡今城塚古墳 第7次調査

※下記の文は、すべて当日の配付資料の転載です。

現地説明会資料
2004年2月15日(日)

調査面積 約1000平米
調査期間 平成15年8月11日から
調査主体 高槻市教育委員会
調査担当者 宮崎康雄

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1.はじめに

今城塚古墳は三島平野の中央に位置する6世紀前半に築かれた前方後円墳です。全長190mをはかる墳丘の周囲には二重の濠と内堤が巡り、総長350mと淀川北岸では最大の規模を誇ります。

高槻市では今城塚古墳の保存整備に向けて平成9年度から規模確認調査を実施し、古墳本来の姿を追究してきました。今回の第7次調査は、後円部を中心とした墳丘の形状と南北のくびれ部から造出の調査を設定しました。

2.調査でみつかったもの

<くぴれ部・造出>

後円部と前方部の境であるくびれ部と造出の規模や形状を把握するため、墳丘南北で調査を行いました。

〔2トレンチ〕 墳丘北側では、くびれ部と昨年の第6次調査で検出した北造出を確認するため、調査区を設定しました。調査はすでに終了していますが、大規模な地滑りによる墳丘の崩壊土の下でくびれ部と北造出を検出しました。北造出は昨年度に確認した基底部の調査につづくもので、現況の上面は南北約10m、東西約15mの長方形を呈します。造出東辺と後円部との狭益(原文:こざとへんに「益」)部は内濠側に向かって開く溝状となり、底面は墳丘から内濠へゆるやかに下降しています。本体の旧表土層と盛土が地滑りにより流出したため、本来の高さは不明です。遺物は濠内に転落した円筒埴輪や須恵器の小片がわずかに出土した程度です。

〔3トレンチ〕 墳丘南側のくびれ部に設定した調査区です。地震によるすべり面の下に墳丘側の一部に本来の盛土が残存していました。北東隅ではくびれ部、その西側で南造出をはじめて確認しました。

くびれ部は後円部と南造出とに挟まれた幅約9mの溝状となっていました。地滑りのため堆積土が押し流されており、後円部裾近くで大形の蓋形埴輪が2個体出土しました。部分的に鮮やかな朱色をとどめた大形品で、本来はくびれ部周辺に樹立されていたと考えられます。

南造出は地滑りによって盛土が流出していましたが、地山を削りだした基底部は原形を留めていました。南北幅10m、東西長は約17mで、北造出とほぼ同じ形状をしています。裾には径20cm〜60cmの川原石を斜面に沿って並べた護岸列石が巡っています。埋土からは円筒埴輪や須恵器の破片が出土しました。

列石は後円部側でも検出しました。造出と同様の石材を用いていますが、一定のレベルのところで長さ80cm、幅45cmほどの大石を並べるのが特徴的です。列石は全体が地震等によって移動し、現位置をとどめていません。裾の泥土中からは木製品や板材が出土しました。

<後円部>

後円部のテラスや円筒埴輪列、葺石の有無を確認するために、後円部の墳頂から東斜面〔1・1N 1Sトレンチ〕と南西側斜面〔4トレンチ〕に調査区を設定しました。

〔1トレンチ〕 墳丘中位の平坦面を掘り下げたところ、径10cm〜30cmほどの川原石を積み上げた葺石をはじめて確認しました。基底部分から約0.9mの高さまでは大きめの石を約65°の急角度で積み上げ、その上方は16°前後の緩い角度で小ぶりの石を列石状に並べています。下段の石の隙間は黒灰色土が充填され、基底部分は黒灰色土で覆われた状態でテラスヘ移行しています。テラスは葺石裾部の標高が274mで大部分はすでに流出し、円筒埴輪も滑落していました。

墳頂部では盛土を覆う石積みを墳丘内部で検出しました。人頭大の川原石の長軸をそろえて規則的に積み上げたもので東面と南面は稜を形成しています。上方は撹乱等によって崩れていますが、現況の高さは13m、角度は18〜22°です。遺物は乏しく、斜面の堆積土から円筒埴輪や石棺片、金銅製品がみつかっています。

〔1Nトレンチ〕 堆積土は地滑りをおこしていますが、葺石テラスを確認しました。一段目の墳丘角度は約24°、テラスは幅45mで内濠側にむかってわずかに(約8°)傾斜しています。葺石裾での標高は274mです。円筒埴輪列はテラス外縁より1m内側で検出し、いずれも基部のみで地滑りのため内濠側に傾いていました。葺石の遺存高は1m。1トレンチ同様、径20〜40cmの川原石を積み上げ、隙間には黒灰色土を充填していました。斜面角度は下半部を60°前後、その上方は15〜20°としています。基底石は黒灰色土に埋まった状態でした。

〔1Sトレンチ〕 1トレンチの南側に設定し、葺石やテラスとともに石組の排水溝を検出しました。

葺石は高さ1.1mをはかり、他の調査区同様に上下の段で石材の大きさや斜面の角度が異なっています。下段はおもに径50cm前後の大振りの川原石を45〜50°に積み上げて、下端中央は排水溝を設けたことにより、そこから上方にむかって∨字形の範囲で石の積み方が異なっています。

葺石上端から内側には平坦面がひろがっています。検出した範囲は南北幅35m以上、奥行き3.5m以上をはかり、上面はテラス部と同様に約9°の勾配をもちながら中心部に向かって上昇しています。

排水溝先端は葺石基底部よりも最大0.85m突き出ていました。平らな石を並べて塵と側壁をつくり、蓋石をかけた暗渠構造で先端部の内法は幅0.25〜0.3m、高さ0.25〜0.3mをはかります。内部の堆積土は2層に分かれ、下層は黄灰色土、上層は赤褐色土です。排水溝の方向性や上面の蓋石は今後の課題です。

〔4トレンチ〕 地滑りのため、テラスや葺石などの施設は確認できませんでしたが、墳頂付近では石棺片や拳大の円礫が出土しました。調査はすでに終了しています。

3.調査でわかったこと

今城塚古墳の主体部に関しては、横穴式石室の可能性が高いと考えられていましたが、今回後円部のテラスで検出した排水溝は物集女車塚古墳(京都府向日市)等での検出事例から主体部そのものの構造にかかわる遺構と考えられます。通常、横穴式石室には前庭部に向かって延びる排水溝を設けていることが多く、排水溝上位の平坦なエリアを前庭部と考えることによって、南東方に開口する石室の存在がうかがえます。

また、後円部では外表施設として葺石やテラス、円筒埴輪列をはじめて検出しました。高さ約11mの後円部中位でテラスを確認したことにより、墳丘を2段に築いていたことが判明しました。2段目の直径は葺石裾で約72m、テラス外縁で約80mに復原できます。なお、墳丘基底面第1段裾の立ち上がり部では直径約100mです。

くびれ部の南北間の距離は50mをはかります。造出はこれまで墳丘の北側にのみ、存在しているものと考えていましたが、南北両側に築かれていたことが判明したことから、今城塚古墳は後期古墳ながらも伝統的な形態を引き継いだとみることができます。ただ、中期古墳において主要な埴輪祭祀の場であった造出において形象埴輪が見られず、須恵器や木製品等の存在からこれらを中心とする祭祀が行われていたと考えられます。

今回の調査成果は、大王陵級古墳の葬制の変遷を知るうえでも非常に重要な資料になると考えられます。