内田山遺跡・内田山古墳群第7次 現地説明会

内田山遺跡・内田山古墳群第7次 現地説明会資料

平成18年9月23日(土)

遺跡名称 内田山遺跡・内田山古墳群第7次
所在地 京都府相楽郡木津町大字木津小字内田山
調査主体 (財)京都府埋蔵文化財調査研究センター
調査担当 調査第2課調査第3係長 石井 清司
主任調査員 竹原 一彦
調査員 柴 暁彦
調査期間 平成18年4月17日〜平成18年10月初旬(予定)
調査面積 900m2

1.はじめに

今回の発掘調査は、「木津中央特定土地区画整理事業」に伴い、独立行政法人都市再生機構の依頼を受けて実施したものです。

今回の調査対象地は、JR木津駅のほぼ真東、西に向かって平野に張り出す丘陵のほぼ先端にあって、北方向に延びる尾根上に位置します。一帯の丘陵上には、弥生時代後期を中心とする集落遺跡の内田山遺跡と、古墳時代中期〜後期にわたって造られた内田山古墳群が分布しています。また、周辺部には弥生〜奈良時代を中心とする赤ヶ平遺跡、釜ヶ谷遺跡、木津城山遺跡、片山遺跡などの遺跡があります。

内田山遺跡と内田山古墳群B支群では、これまでに6回の発掘調査が実施されました。

内田山遺跡では、弥生時代後期の竪穴式住居跡9基のほか、溝や土坑などが見つかり、木津平野を一望できる小高い丘陵の上に、当時の集落が営まれていたことが分かってきました。

内田山古墳群は、京都府立木津高等学校敷地内に分布するA支群と、今回調査を実施したB支群に分かれ、いずれも小形の方墳で構成されています。このうち、第5次調査で発掘したB1号墳は、最も南に位置する東西17.5mの方墳です。墳頂部から4基の埋葬施設が検出され、このうち2基は埴輪棺、残る2基は木棺直葬墓でした。中でも木棺直葬の埋葬施設SX154では、棺内から六獣形鏡が1面出土しています。また、第6次調査で発掘したB2号墳は一辺約12mの方墳で、中央部から東西方向の埋葬施設1基を検出しました。埋葬施設は木棺直葬で、木棺の全長は約5m、幅約0.65mを測ります。棺内は仕切り板で4室に区切られ、主室とみられる中央の2室には小石を敷き詰めた礫床と、石を組み合わせた枕が存在し、その状況などから、1つの棺に3人が埋葬されたものと考えられました。特に東側主室では枕の周辺から、内行花文鏡1面、勾玉や管玉などの玉類約1,000点、竪櫛などの副葬品が出土しています。

今回の調査は、第6次調査に引き続き、内田山古墳群B支群の存在する尾根を対象に、集落の広がりと未検出古墳の有無の確認を目的として実施しました。

第1図 周辺遺跡分布図(国土地理院1/25.000 奈良)
第1図 周辺遺跡分布図(国土地理院1/25.000 奈良)
1、内田山古墳群 2、木津遺跡 3、上津遺跡 4、片山遺跡 5、釜ヶ谷遺跡 6、赤ヶ平遺跡 7、木津城跡 8、西山遺跡 9、西山塚古墳

第2図 内田山遺跡・内田山古墳群調査地位置図
第2図 内田山遺跡・内田山古墳群調査地位置図

2.調査の概要

(1)弥生時代

尾根筋の緩斜面を中心に、広範囲に竪穴式住居跡が営まれていた状況を確認しました。今回の第7次調査では10基の竪穴式住居跡と土坑・溝・方形周溝墓など、多くの遺構を検出しました。竪穴式住居跡の平面形には円形と方形が認められ、重複している状況から、円形の住居跡が方形の住居跡より古い傾向にあることが明らかになりました。また、円形の住居跡は直径7〜8mと大型であるのに対し、方形住居跡は一辺4〜5mと小規模であることも判明しました。

今回の調査で検出した竪穴式住居跡の中で、竪穴式住居跡SH40は火災にあった住居跡であることが判明しました。住居の平面形は方形で、一辺は4m程度の規模と考えられます。住居跡の西側半分は削り取られて失われていますが、住居の床面から炭・灰・焼土塊に混じって炭化した屋根材が良好な状態で出土しました。炭化した屋根材は屋根の骨組みを良好に示しており、住居の中心付近から住居壁に向かって放射状に延びる状況が確認されました。

第3図 第5次〜第7次調査検出遺構平面図
第3図 第5次〜第7次調査検出遺構平面図

(2)古墳時代

今回の調査では、B3号墳〜B8号墳の計6基の方墳の調査を実施しました。いずれも古墳時代中期(5世紀)に築造されたものです。

B3号墳 →写真

第6次調査で発掘したB2号墳の北西に位置する方墳です。墳丘は大規模に削られていましたが、周溝SD1を検出しました。周溝によって区画された古墳の規模は一辺約10mを測ります。周溝内から円筒埴輪朝顔形埴輪の破片が多量に出土しました。

B4号墳 →写真

B2号墳の北北東にあって、方墳の南西隅部と周溝(SD3)の一部を検出しました。埋葬施設を含む墳丘の大部分はすでに失われています。南側周溝の南西隅外周付近から、円筒埴輪を棺に転用した埋葬施設1基を検出しました。

B5号墳

B2号墳の北側から検出した方墳です。古墳の南東隅と南西隅を検出しましたが、墳丘の大部分と北側の周溝は削り取られています。古墳の東西規模は約12mを測ります。古墳の中央部付近から、東西主軸の埋葬施設1基(SX29)を検出しました。埋葬施設は残りが悪く、施設の西半部分と墓壙の大半が削り取られています。SX29は木棺直葬で、棺の東側部分は残存長2.7m、幅0.8m、深さ0.05mを測ります。東小口から西1.4m離れた位置に、拳大よりやや大きい川原石3個を配置した枕施設が認められます。枕の配石状況から被葬者は東側に頭を置いていたとみられます。副葬品として、枕から東に0.5m離れた地点から鉄製刀子1点が出土しました。ここではB2号墳の埋葬施設棺内に存在した礫床はみられません。

B6号墳 →写真

B5号墳の北側にある方墳で、東側を除く3方向側の周溝を検出しました。古墳は、一辺約13〜15mの規模を測り、平面形はやや台形を呈しています。墳丘の大部分並びに埋葬施設は削り取られています。

B7号墳 →写真

B5号墳の東側に位置する方墳です。古墳の周溝のみを検出しましたが、北東隅部は削平の影響で失われています。古墳の規模は一辺約9mを測ります。

B8号墳 →写真24

B6号墳の西側に位置する方墳です。古墳の大部分は大きく削られていますが、古墳の南西隅部と周溝(SD39)を検出しました。埋葬施設も残っていませんでした。周溝は、東側周溝が途切れる状況にあり、周溝の一部が陸橋状に掘り残されています。周溝は、途切れた部分を境に、北側が幅4.7m、深さ0.3mであるのに対して、南側は幅4.7m、探さ1.3mと大規模に掘削されています。また、この周溝では、途切れた部分の南北両側直ぐのところから家型埴輪の破片が多量に出土しました。特に南側では、ほぼ完形品の家型埴輪(切妻建物)1点と、その東隣側からやや大型の家型埴輪1点が、転落した状態で周溝底付近から出土しました。家型埴輪片は出土量も多いことから、陸橋の南側周溝内におよそ4個体、陸橋北側では1個体の家型埴輪があるとみられます。完形品の切妻建物の埴輪は、桁行2間(30cm)、梁間1間(20cm)、高さは30cmを測ります。また、屋根棟部の長さは55cmを測ります。

第4図 B8号墳SD39家型埴輪出土状況
第4図 B8号墳SD39家型埴輪出土状況モノクロ写真

第5図 B8号墳実測図
第5図 B8号墳実測図

3.まとめ

第1次から今回の第7次調査によって、丘陵上にある遺跡を広範囲に調査し、内田山遺跡と内田山古墳群B支群に関して大きな成果を得ることができました。7回にわたる調査から分かったことは、以下のとおりです。

(1)内田山遺跡は、弥生時代後期から奈良時代にかけての集落跡で、その中心は弥生時代後期の集落跡です。弥生時代の集落跡は、高地性集落と呼ばれるもので、竪穴式住居跡19基・溝・土坑などを検出しました。また、弥生時代後期前半頃に、住居の形態が円形(大型)から方形(小形)に変わる状況が確認できました。

(2)内田山古墳群B支群は、古墳時代中期前半を中心とする古墳群で、尾根上の緩斜面を中心に、9〜18mの小規模な方墳が8基築造されていたことが分かりました。

(3)古墳の埋葬施設は、全ての古墳で検出をみたわけではありませんが、遺存していたものには、特色ある形態がみられました。第5次調査で発掘した内田山B1号填では、4基の埋葬施設のうち2基は埴輪棺でしたが、残る2基(SX153・154)は組合式木棺を直葬しています。B2号墳とB5号墳では、中央付近にそれぞれ1基(SX12・SX29)の埋葬施設(組合式木棺)が存在しました。

付表 埋葬施設と副葬品
埋葬施設名墓壙の形態棺内の施設主な出土遺物
B1号墳SX153素掘り礫床。埴輪片を利用した枕滑石製玉類・鉄製刀子
B1号墳SX154素掘り仕切。主室に赤色顔料。高杯の転用枕銅鏡(六獣形鏡)1面
B2号墳SX122段墓壙木棺長5m。4室に仕切る。中央部2室(主室)に枕(礫床と川原石)。複数埋葬(3体)。銅鏡(内行花文鏡)1面・玉類(約1,000点)・竪櫛・鉄刀・ヤリガンナ・石製紡錘車
B5号墳SX29不明仕切。主室内に川原石の枕鉄製刀子

(4)木津町では、内田山古墳群以外にも礫床を設けた埋葬施設の事例が西山塚古墳・瓦谷古墳群・上人ケ平古墳群で確認されています。

(5)木津町内の古墳の埋葬施設には、二段墓壙・棺の礫床・石(土器)枕・一墳複数埋葬などの特徴をもつものがあります。これらは、4〜5世紀を中心とする山陰の出雲から近畿北部の丹後地域にかけての日本海側に、類例が多数存在しています。このことから、日本海側地域の集団と内田山古墳群の被葬者間には、何らかの関係があったものと考えられます。

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