上里遺跡(弥生時代前期)

(財)京都市埋蔵文化財研究所

配布資料

調査地京都市西京区大原野上里南ノ町地内
調査期間2009(平成21)年3月18日〜10月30日(予定)
調査面積約2240m2

はじめに

 

この調査は京都市が計画する伏見・向日町線道路新設工事に先立って2001年度に西の方から調査を開始し、2003年度・2005〜2007年度と順次東へ調査を進め、今回が最も東の端での調査となります。

今年度の調査は4月から開始しました。これまでに長岡京期の調査を終えて、現在弥生時代前期の遺構の調査を行っています。調査区はI区・II区と2007年度の未調査区III区を設定しました。

これまで2006年度の調査では土坑・土器棺墓・溝・柱穴群・炉跡など、2007年度の調査では竪穴住居・土坑・土器棺墓・溝・柱穴群・炉跡など弥生時代前期の遺構が見つかっています。

図1 調査位置図
図1

図2 調査区配置図

調査成果

今回の調査区のうち、段丘下のII区は小畑川・善峰川による河川堆積層とその上に近世以降の耕作層を確認したのみで、長岡京や上里遺跡に関連する遺構・遺物は見つかりませんでした。

段丘上のI区では弥生時代前期(今からおよそ2,500年前)の遺構がたくさん見つかりました。竪穴住居、土坑、土器棺墓、溝、炉跡、柱穴群などがあります。竪穴住居は少なくとも3棟ありますが、この他に現在調査中ですが竪穴住居と考えられる大型の土坑もあります。土器棺墓は1基あり、上部はすでに削られて失われています。炉跡と考えられる焼土の痕跡は7箇所で見つかっています。これらが住居に伴うものか、伴わないものかは検討が必要ですが、いずれにしても土器を据えて煮炊きした痕跡だと考えられます。柱穴は多数検出されています。直線的に並ぶ柵状のものや円形にまとまるものがいくつかあって、何らかの建物を構成すると考えられます。

図3 本年度I区弥生時代前期遺構略図(1/300)
図3

まとめ

乙訓地域では、弥生時代前期の遺跡として長岡京市の雲宮(くものみや)遺跡や向日市の鶏冠井(かいで)遺跡・森本遺跡などが知られていますが、住居跡を含む集落跡が明らかになった例はあまりありません。弥生時代前期といえば、稲作が導入された時期であり、この乙訓地域でどのように新たな文化が受け入れられたかを考えるうえで重要な成果と言えます。

図4 2006・2007年度と本年度弥生時代前期遺構図(1/800)図4

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