吉田二本松町遺跡

2011(平成23)年8月5日(金)
京都大学文化財総合研究センター

遺跡名吉田二本松町(よしだにほんまつちょう)遺跡
所在地京都市左京区吉田二本松町
調査機関京都大学文化財総合研究センター(担当:富井眞・笹川尚紀)
調査期間平成23年5月16日~10月末(予定)

成果

人物埴輪や馬形埴輪などの形象埴輪および円筒埴輪をともなう紀元5世紀後葉ごろ(古墳時代中期)の古墳の検出。吉田二本松古墳群で埴輪を伴う古墳は初出.

  1. 埋葬主体部は中世までには削平されて,主体部を巡っていた周溝のみが残存。東西10m以上、南北15m程の方形の墳墓という現状認識。(吉田二本松古墳群では同様の古墳が7基見つかっているが、それらはいずれも一辺が10~13m程度で、埴輪を伴わない。)
  2. 須恵器。■(※瓦に泉)(はそう:注口土器の一種)が周溝から出土。形状や底部調整から、5世紀末〜6世紀初頭ごろ。
  3. 円筒埴輪・朝顔形円筒埴輪。外面・底部の調整や突帯の貼付法などから、Ⅴ期。須恵器と同時期。
  4. 形象埴輪。馬形埴輪や家と思われる器財埴輪、人物埴輪など複数からなるセット。5世紀後半。人物埴輪には、男性の手先部分や頭部、巫女の可能性の高い服や襷と思われる部分。山城東北部で形象埴輪のセットのうかがえる希少例(鴨川水系では他に鳥羽離宮下層が同様事例)。

意義

山城北部の古墳時代後期の小規模古墳群集域では、形象埴輪をもつ古墳は多くなく、特に鴨川流域や東山一帯では希少。人や馬の形象埴輪のセットが中小規模の古墳郡に出現し始めた時の様相がわかる重要な事例。京都盆地北半の中後期の古墳群間の序列を考える上で貴重な資料。

今後

周溝埋積土の完全掘削。埴輪の種類や共伴遺物の確認。他の7基との比較。

課題

古墳の規模や形状の確定。

遺跡概要

先史時代から歴史時代の複合遺跡(立地:白川扇状地末端/高野川左岸の後背湿地)

古墳時代前後の吉田二本松町遺跡に関するこれまでの調査成果

  1. 弥生時代前期末(2400年前ごろ):湿地を利用した水田。(砂質土石流により埋没)
  2. 弥生時代中期後半:方形周溝墓。(7基程度を確認。葬送空間の形成)
  3. 弥生時代後期~古墳時代前期:遺構なし・遺物ほとんどなし。
  4. 古墳時代:5世紀後半(古墳時代中期)の吉田二本松古墳群(方墳7基)。5世紀前半の家形埴輪。
  5. 飛鳥時代:遺構なし・遺物ほとんどなし。
  6. 奈良時代:村落(掘立柱建物・井戸・土抗)

現時点での今回の調査地点での成果

歴史時代

  1. 江戸時代:西・北下がりの段差の造成。東西方向に並ぶ杭穴列。遺物は細片のみ。≒段々畑
  2. 鎌倉・室町時代:調査区西辺の大溝を境に、東に井戸・集石・土器溜・埋甕、西に井戸・集石。
  3. 飛鳥・奈良・平安時代:遺構未確認。遺物も微量。

先・原史時代

  1. 古墳時代:上記の通り。
  2. 弥生時代:中期後半の方形周溝墓(供献土器あり)。


図1 遺跡の位置と古墳時代前後の周辺地点


図2 古墳時代中期後半の小規模古墳群(宇野2010より)


図3 吉田二本松古墳群(伊藤2010より)

<挿図や写真の出典>

  • 伊藤淳史2010「鴨東の古代」『京都大学構内遺跡調査研究年報2007年度』
  • 宇野隆志2010「平安京下層・梅小路古墳出土遺物の検討」『立命館大学考古学論集V』
  • 小野山節編1985『古墳と国家の成立ち』(古代史発掘6)、講談社
  • 城陽市歴史民俗資料館1998『古代人との出会い』(歴史民俗資料館展示図録9)
  • 高橋克壽1996『埴輪の世紀』(歴史発掘9)、講談社

写真


写真1 今回検出した埴輪を伴う方墳(北から:黒い土が周溝部)


写真2 今回の調査地点(遺跡から南方を望む)


写真3 南の周溝の埴輪出土状況(東から)


写真4 東の周溝の横断面(南から)


写真5 家形と思われる埴輪(北から)


写真6 周溝上面出土の須恵器(■(瓦に泉):ハソウ)


写真7 円筒埴輪の破片(底部付近)


写真8 巫女と思われる埴輪破片(背の部分)


写真9 人物埴輪の破片(腕先の部分)


写真10 馬形埴輪の破片(鞍の部分)


写真11馬形埴輪の破片(轡の部分)


写真12 馬形埴輪の破片(障泥・鐙の部分か)

須恵器や埴輪の参考例


胴部径約11cm
■(瓦に泉)(陶邑 高蔵23号窯跡/5世紀)


高さ約59cm
形象・円筒埴輪(赤塚古墳/5世紀)


口径約26Gm・高さ約34cm
形象・円筒埴輪(赤塚古墳/5世紀)


高さ約90cm・長さ約122cm
形象・円筒埴輪(赤塚古墳/5世紀)


人物埴輪(塩谷5号墳/6世紀,今里舞塚1号墳/6世紀)


人物埴輪(塩谷5号墳/6世紀,今里舞塚1号墳/6世紀)


埴輪出土状況復元(昼神車塚/6世紀)

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