甘樫丘東麓遺跡の調査(飛鳥藤原第171次調査) 現地説明会資料

2012(平成24年)年3月4日(日)
独立行政法人国立文化財機構奈良文化財研究所都城発掘調査部

調査区全景

〜2011年度 甘樫丘東麓遺跡の調査〜

甘樫丘は、飛鳥川西岸に位置する標高145mほどの丘陵です。『日本書紀』には、皇極天皇3年(644)に蘇我蝦夷・入鹿の邸宅が営まれたことが記されています。

これまで奈良文化財研究所は、丘陵東麓の東南に向かって開く谷の一つで、継続的な調査をおこなってきました。その結果、7世紀前半から8世紀初頭にかけ、大規模に造成をおこない、石垣や塀、建物などを設けた様子が分かってきました。また、今回の調査区の南側では、炭、焼土、焼けた木材などが見つかっていました。

今回の調査は、塀などを設けた造成部分や、そこから谷底へと下がっていく部分の様相を明らかにすることを目的とし、約880m2の調査区を設けました。2011年9月22日から調査を開始し、現在も継続中です。

調査区東半から北部では、塀などを除き古代の遺構は残っていませんでした。谷底に近い調査区西南部では、南に下がる谷斜面の一部を削って整地し、2段の平坦面を設けていることが分かりました。上段には、炭や焼土を含む土層が堆積し、高熱を受け硬くなった面や赤くなった面、こぶし大の石を詰めた石敷、底に石を敷いた溝などがあります。下段では、建物が1棟見つかっています。そして7世紀中頃には、調査区西南部を一気に埋め立てています。

甘樫丘東麓の谷がどのように利用されていたのか、その実態が少しずつ明らかになってきました。

調査区位置図
調査区位置図

写真1 炭・焼土堆積状況 西から
写真1 炭・焼土堆積状況 西から

写真2 石敷 北から
写真2 石敷 北から

写真3 石敷溝 西から
写真3 石敷溝 西から

写真4 調査区西南部 東から
写真4 調査区西南部 東から

平面図平面図

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