成合遺跡の調査 現地説明会資料

2012年(平成24年)4月21日(土)
公益財団法人 大阪府文化財センター

調査の経緯と成果

この調査は、高速自動車国道近畿自動車道名古屋神戸線建設事業(新名神高速道路高槻インターチェンジ建設工事)に伴うもので、西日本高速道路株式会社関西支社の委託を受けた公益財団法人大阪府文化財センターが、平成23年7月から本格的な発掘調査を実施しております。

この遺跡は高槻市成合の集落東方の丘陵上に広がっており、今回遺構が見つかった場所は、成合の集落から25〜30mほど高い、標高約65〜70m付近になります。遺跡の存在は、昭和20年代に地元の方が弥生時代の遺物を拾われたことをきっかけに知られるようになりましたが、これまでこの成合の丘陵には開発の手が及ばず、発掘調査が行われることもなかったため、その実態については明らかになっていませんでした。

同じ高槻市内の近隣丘陵上には、銅鐸が出土した天神山遺跡や、我が国でも最大級の環濠をもつ古曽部・芝谷遺跡など、同時代の遺跡が分布していることから、この成合遺跡もそれらと同様に丘陵上に築かれた集落遺跡ではないかと考えられてきました。高槻市内の弥生時代の遺跡については、低地部に広がる安満遺跡の集落拡大に伴って、次第に北方の丘陵上に村々が移動していったとされており、成合遺跡もその移動先の村の1つではないかと、研究者の間では以前から注目されておりました。今回の調査で、ようやく遺跡の様子が明らかとなってきましたので、ここで皆様にその成果を見学していただきたく、遺跡を公開することといたしました。

調査の結果、予想どおり、今から2,000年ほど前の弥生時代中期後葉から後期初頭の集落が広がっていることが明らかとなりました。またそれだけではなく、平安時代(9世紀前半)の土器作りの場、あるいは火葬の場として使われていたこともわかってきました。

弥生時代の主な遺構には、竪穴建物や、その周辺に形が不揃いな穴などがあります。竪穴建物はこれまでに8棟が見つかっており、今回はそのうちの6棟(竪穴2・3・5〜8)が見学できます。8棟のうち、今回見学できない竪穴1だけが平面形が四角いものでしたが、あとの竪穴建物は平面形がほぼ円形でした。このうちもっとも大型の竪穴3はややゆがんだ南北6.8m、東西5.8mの楕円形で、建物の柱も7本であったことがわかりました。また建物の内部からは、焼けた多くの炭や真っ赤に変色した焼土が確認されました。それらを丁寧に掘り下げていくと、竪穴建物の屋根の骨組みとして使われていた垂木材がそのまま焼け落ちた状態で並んでいる様子が見えてきました。ただし、それ以上に多くの焼土が見つかっていますので、教科書や博物館の屋外展示などでよく見かける茅葺きの竪穴建物ではなく、屋根の上が土で覆われた住居だったのではないかと考えています。住居内からは小さな土器片は見つかりましたが、完全な形の土器が当時の状態のまま見つかるという状況ではなかったことから、生活している最中に火災にあったものではなく、建物を放棄した後に焼けたものであったことがうかがえます。これらの竪穴建物の配置を見ると、中央の水はけの悪い谷部をはさんで、竪穴2と竪穴3、竪穴5と竪穴6がきれいに4棟並んでいることがわかります。おそらく集落が築かれた当初から計画的に配置されていたと考えられます。

平安時代の遺構としては、穴を掘って柱を据えただけの掘立柱の建物が2棟のほか、壁が真っ赤に焼けた穴や、真っ黒な炭が入った穴が多く見つかっています。前者の穴は底まで真っ赤に焼けているものもあり、土器片が多く出土するものもあることから、オレンジ色で軟質の「土師器(はじき)」と呼ばれる土器を焼いた穴であった可能性が考えられます。掘立柱建物2棟は、この穴のすぐ近くから見つかっておりますので、土器作りなどをした工房跡であったのかもしれません。後者の炭の穴の中からは、釘が出土するものがあることから、土器を焼いたものではなく、火葬をしたときの穴であった可能性を考えています。釘は遺体を納めた棺を留めてあったものだったのではないでしょうか。なお赤く焼けた穴は、すべてが平安時代のものではなく、中には弥生時代のものも含まれているかもしれません。遺物が出土しないのでどちらの時代のものなのか、なかなか判別することができません。このほか遺跡南東側の斜面からは、「須恵器(すえき)」と呼ばれる灰色で硬質の土器を焼いた窯の跡も発見されています。出土する須恵器の形から、9世紀前半に操業していたものであったことがわかります。窯の下の万には、窯からかき出された炭が広がっており、その中にはゆがんだり割れたりした須恵器の失敗作が数多く含まれていました。

今回の調査では、予想された弥生時代の遺構のほか、予想もしていなかった遺構も数多く発見されています。これらの成果によって、北摂地域周辺の歴史的環境の解明がさらに進むことが期待されます。今後とも、調査へのご理解とご協力をお願いいたします。

成合遺跡周辺の遺跡分布図

成合遺跡周辺の遺跡分布図

調香区配置図および検出遺構

調香区配置図および検出遺構
すでに調査が終了した調査区からも、いくつもの遺構が見つかっています。

高速自動車国道近畿自動車道
名古屋神戸線建設事業に伴う埋蔵文化財発掘調査(高槻市域)その2
現地説明会資料

成合遺跡

発行:公益財団法人 大阪府文化財センター
〒590-0105 大阪府堺市中区竹城台3丁21−4
TEL 072-299-8791

印刷:株式会社 民新社
発行日:平成24年4月21日

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