北野天満宮 史跡御土居 現地説明会 資料

2013(平成25)年7月27日(土)
財団法人京都市埋蔵文化財研究所

説明文

調査地 京都市上京区馬喰町・北町
調査面積 142m2
調査期間 2013年6月3日から8月上旬(予定)

御土居の歴史とこれまでの調査

安土桃山時代、天下人となった豊臣秀吉は、京都の町でいくつかの大規模な造営事業を行います。

天正14年(1586)には聚楽第、天正16年(1588)には方広寺、そして天正19年(1591)の御土居と続きます。

御土居は、京都の街の周囲を土塁と堀によって囲んだもので、外敵の侵入を防ぐ役割のほか、鴨川や紙屋川の洪水から街を守ることなどを目的として築かれました。御土居の総延長は約23kmにも及びますが、当時の記録よると、工事は天正19年の閏正月から始まり数ヶ月でほぼ終了するという超スピードで行われたようです。また、紙屋川に面した部分は「紙屋川大堀に成申候」(『北野社家日記』)と記されているように、川を堀として活用しています。

江戸時代になると、御土居は幕府の管理下に置かれて保護されていました。明治時代になってもその形状は留めていたようですが、以後、徐々に取り壊され始め、大正時代の京都市都市計画以降の京都の近代的な変貌とともに地上からその姿を消していきます。

御土居の調査は、古く大正8年(1919)に初めて行われています。その後も開発に伴い13回以上の発掘調査が実施されていますが、構築方法を初めまだまだ解明できていない課題があります。

今回の調査の成果

調査地は北野天満宮境内地の北西部に位置し、この境内地の御土居は国指定の史跡に指定されています。調査は、御土居の整備を目的として6つの調査区を設定して行いました。主な調査成果として次の3点が挙げられます。

(1)切石組暗渠を検出しました。埋没し位置が不明であった東側の取水口を調査により検出し、露出していた排水口と合わせ、切石組暗渠の規模・構造が明らかとなりました。この暗渠は『京都総曲輪御土居絵図』(元禄15年(1702)作成。京都大学総合博物館蔵)に描かれる御土居の絵図の中で唯一の暗渠にあたります(1・3トレンチ)。

(2)調査地の御土居は、紙屋川東岸の段丘上に築かれている事が確認され、その規模や基底部から最上部までの構築方法が明らかとなりました(2トレンチ)。

(3)『京都総曲輪御土居絵図』に描かれる元禄14年(1701)に開削された切通しの道路を検出しました(2・5・6トレンチ)。

以下にそれぞれについての説明を述べます。

(1)1・3トレンチで検出した切石組暗渠は花崗岩製で、取水口と排水口間の距離が19.3m、それぞれ開口部は高さ40㎝、幅60㎝を測ります。取水口は天井石(長さ約100㎝、幅約70㎝、厚さ約20㎝)と南北の側石(長さ約70㎝、幅約45㎝、厚さ約20㎝)、底石(長さ約100㎝、幅約70㎝、厚さ約20㎝)を組み合わせて構成されています(暗渠全体が同様の規格の石材を用いて構築されているものと考えられます)。一方、排水口はこれよりも長い石材が用いられており、それぞれ長さが北側石258㎝、南側石166㎝、底石160㎝です。これにより、排水口は土塁本体より数10㎝突き出すので、バランスを取るために長い石材を用いたことが想定できます。

暗渠は、土塁を盛り上げて構築した後に、これを掘り込み、石組を設置して再び埋め戻しています。暗渠の設置の年代を示す遺物は出土していませんが、それを考える手がかりとして、排水口の北側石を切り出す際に穿たれた矢穴があります。矢穴の形状は時代と共に変化しますが、このタイプの矢穴は安土桃山時代から江戸時代初期ごろのものであり、現存する暗渠石材はこの頃に設置されたようです。

暗渠取水口と東から接続する排水溝は、北野天満宮のすぐ北側に位置し(本殿から北へ25m)、天満宮の北辺とも方向が合うことから、神域を雨水などから守る為に設けられたものと考えられます。また、明治以降に排水口の下方に排水を受ける滝壺状の施設が設けられており、暗渠が近年まで機能していたことが窺えます。

(2)2トレンチでは、土塁の基底部から最上部までの規模と構築方法が明らかとなりました。土塁は紙屋川の東側段丘上に構築され、基底部幅が約18m、盛土の高さは3.0mを測ります。紙屋川河原から土塁天場までの高さは約10mにもなります。

(3)2・5・6トレンチでは、元禄14年(1701)に御土居と紙屋川の西側にある平野神社周辺の住人が、生活の利便の為に奉行所に願い出て、土塁を開削して設けた道路の跡が検出されています。道路幅は4m、かなりの急勾配で、階段状になっていた可能性もあります。

なお、秀吉は、天正15年(1587)10月に北野天満宮で大茶会を催し、天正19年5月には御土居の視察に際して北野天満宮を訪れるなど(『時慶卿記』)、天満宮との関係の深さが窺われます。


図1 平安京・御土居と調査地点図


図2 調査地位置図

図2〜9


図3 調査区配置図(1:1000)


図4 切石組暗渠断面模式図


図5 トレンチ西壁断面模式図(暗渠取水口)A点


図6 切石組暗渠部分名称(排水口A点、西から)


図7 暗渠出口北側石に残る矢穴(北から)


図8 北野天満宮境内図(元禄年間、北野天満宮蔵)


図9 京都惣曲輪御土居絵図(元禄15年・1702、京都大学総合博物館蔵)

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