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用語解説

久宝寺遺跡

八尾市北西部を中心に約1.6km四方の広い範囲に及ぶ、縄紋時代晩期から中近世に至る複合通路である。特に弥生時代後期未から古墳時代前期には水田と周溝墓・古填群からなる墓域、集落が群在して確認されている。遺跡範囲の広さと共に、右釧、銅鏡などの遺物や準構造船の一部が出土したことから、当時の水運上で重要な位置を占める中核的な遺跡であったことが知られている。

割竹形木棺

古填時代前期に盛行した棺形式の一種。竹を割ったような形状に由来する名称。丸太材を縦方向に二分割し、双方の内部をくり抜いて片方を棺身、もう片方を棺蓋とする。棺の両小口を仕切るための仕切板を立てるか、もしくは丸太をくり抜く際に仕切り部分を削り残す場合がある。実物の遺存例は稀で、これまでの割竹形木棺確認例は、棺材が腐食した痕跡から推定されることが多かった。

庄内式土器

畿内の中枢部を中心に、主として西日本にかけて分布し、弥生土器と土師器との中間的位置にある様式に属した土器群。初期倭政権の誕生と密接な関係にあり、当時の社会構造を知る上で重要な土器である。古填時代初頭に相当するが、弥生時代末とする説もある。実年代は3世紀初頭〜後半にあたる。

布留式土器

庄内式土器に続いて、畿内を中心として凡日本的な広範囲に分布する様式の土器群で、およそ須恵器出現以前の土師器(古式土師器)をさす。初期倭政権の勢力拡大と密接な関係にある土器で、その成立には庄内式土器の存在が大きく関与している。実年代は3世紀末〜4世紀にあたる。

 

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