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第5次今城塚古墳の調査(現地説明会資料)

調 査 地 高槻市郡家新町
調査面積 約680平方メートル
調査期間 平成13年6月25日〜現在調査中
調査主体 高槻市教育委員会 文化財課 埋蔵文化財調査センター
調査担当者 宮崎康雄 高橋公一 西村恵祥

 

1.はじめに
 今城塚古墳は6世紀前半に築かれた淀川北岸で最大の前方後円墳で、二重の濠をめぐらし、総長は350mをはかります。「今城」の名は戦国時代に墳丘や濠利用して城砦とされたことに由来します。
 本市教育委員会では今城塚古墳の保存整備に向けて平成9年度から規模確認調査を実施しています。過去4回の調査では、墳丘と内濠・外濠なとの規模や形状、その後の改変の様子などを知る手かかりを得たほか、戦国時代の今城山城築城時に組繊的におこなった大規模な土木工事や、大地震による墳丘崩壊の状況が判明しています。
 今回の第5次調査は、古墳北側の内堤から外濠にかけての形状や遺存状況を肥握するためのもので、調査区を北側内堤中央部に設定し、実施しています。

2.調査でみつかったもの
<内堤>
 上面幅が約23mと調査区周辺部での幅約18mよりも広くなっていました。北端部から南約6mまでは北側の外濠に向かってゆるやかに傾斜しています。
 内堤上面から検出したものは円筒埴輪列と形象埴輪群及び溝2条なとがあります。
 円筒埴輪列は内堤の南北に各一列あり、14.7mの間隔をとり内堤と平行に並んでいました。現存するのは基底部付近のみで、体部はすでに破損していました。円筒埴輪には基底部付近の外径が40cm前後のもののほか、約45cmの大ぶりの埴輪と35cm前後の小ぶりの埴輪が混在していました。前者は北側、後者は南側埴輪列でより多く使用されていました。また、埋める深さが一定でなく、周囲や庭に小石等を据えているなど、埴輪列の高さや傾きを整えるための工夫がうかがえます。
 形象埴輪群は北側円筒埴輪列の北約126平方メートルの範囲にまとまって検出しました。これらは少なくとも、家4、囲い10、器財(蓋2、大刀6・盾1、靭〈ゆき〉1)、人物(武人2、巫女6、力士2、椅子に座る人物2)、動物(馬1・犬?4・鶏1・水鳥7)などがあります。そして、基底部が遺存して本来の位置がわかるものだけでも6点以上あります。家形埴輪には円柱を持つ高床式で屋根を千木や鰹木で飾る神殿様の希有な例や、内部に須恵器の杯を据えた珍しい例もあります。囲い形埴輪は南北一列に並び、埴輪群を東西に分断するように区切っていました。人物では玉纏大刀(たままきのたち)を佩いた武人や椅子に座したとみられる人物があります。
 これらの埴輪はすべて北西約1.2kmの新池遺跡でつくられ、運ばれてきたものと考えられます。
 円筒埴輪列に挟まれた内堤の中央部では凝灰岩と鉄斧が出土しました。凝灰岩は二上山産出の白石とみられ、表面にはノミで加工した痕跡を留めています。この周囲には拳大以下の小片があり、加工の残滓とみられます。後円部出土の白石製石棺片と比べて仕上げが粗く、指そのものではないようです。出土位置が円筒埴輪列の中間で造り出しの真正面に位置することや、石全体の長軸が内堤に平行であることから、意図的に据え置かれたものかもしれません。鉄斧は南北の円筒埴輪列の中間地点、内堤表面が土塁状に高まった部分から単独で出土し、全長8.9cm、刃幅4.7cmの袋状鉄斧です。
 溝1は調査区中央付近を南北にのび、南側では西へ屈曲するようです。円箇埴輪等を切り込んで掘削していました。幅1.5〜1.8m、深さ0.3〜0.4mをはかります。
 溝2は内堤北側をやや蛇行しながら東西にのび、溝1を切っています。幅0.4〜0.8mを測り、深さは未完のために不明です。溝内には埴輪が落ち込んでいました。内堤北側は、上面が北に下降することや、形象埴輪群の検出範囲では盛土の表面に礫がほとんどみられないことから、内堤本体に付加された可能性か想定され、こうしたことから地滑りや不同沈下をおこしていると考えられます。このため、溝2は第4次調査の結果と同様に1596(文禄5〉の伏見地震による地割れの痕跡である可能性があります。

<外濠>
外濠の遺存状況を確認するため、内堤北側を被う近・現代の耕作土と整地土を除去するとすぐに地山(古墳築造時の基盤層)となっていました。内堤裾部に流出土がわずかに堆積する以外外濠のほとんどは、すでに削平されていました。北側調査区中央部では耕地開発以前に埋没した幅7m、深さ2mをはかる東西方向の大溝を検出しました。埋土には砂や礫が多く含まれ、一定量の水流があったことがうかがえます。庭から家形埴輪、埋土上層からは11世紀中頃の瓦器椀がみつかりました。

3.調査でわかったこと
 今回の調査では今城塚古墳北側の状況、とくに内堤での円箇埴輪列・形象埴輪群について良好な資料を得ることができました。とくに形象埴輪群は家、太刀・盾や人物なとを列状あるいは群をなして計画的に配置していることが確認され、大王陵級の埴輪祭祀の実態がうかがえる責重な資料となります。また、形象埴輪の配置状況をみると、埴輪祭祀の実施にあたっては古墳の北側(外側)からの視点を強く意識しているようです。なおこの形象埴輪群は今回の調査区域外にも広がっていることから、今後の調査が期されます。