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赤土山古墳 現地説明会 配付資料

|解説|墳形後円部南側の調査遺構図埴輪図面下層遺構の土層図

赤土山古墳(第6・7次調査)
現地説明会資料
平成13年12月2日

天理市教育委員会

調査地 天理市檪本町2920−1、他
調査期間 6次調査 平成12年7月12日 〜 平成12年11月30日
7次調査 平成13年8月23日 〜 平成13年12月末(予定)
調査目的 史跡整備事業計画に伴う発掘調査

(1)はじめに

 天理市の北部、檪本町に所在する赤土山古墳は、東大寺山古墳群を構成する大型古墳である。民間事業による開発を契機に昭和62年から平成2年にかけて範囲確認調査を行い、平成4年度に史跡指定古墳となった。古墳の規模は、残存長103.5m、推定では全長110m程の古墳と思われる。墳形は、測量成果から前方後方墳と考えていましたが、くびれ部の形状が上・下段墳丘とも前方後円状に区画されていたため、墳形の基本形態を前方後円形とした。なお、造り出しを後円部先端に築いており、双方中円形にも類似する。古墳の時期は、古墳時代前期末〜中期初頃の特徴をもつ。
 赤土山古墳は、平成10年度より整備事業計画に基づく調査を行っている。平成12年度は第6次調査として第18調査区(およそ300平方メートル)を、続いて平成13年度は第7次調査として第19調査区(およそ115平方メートル)を設定し、後円部の填形と集石遺構の検出に努めた。調査を実施した第18調査区は、発掘の便宜上、西区と東区に区分した。7次調査では、平成元年に実施した第8・11・12調査区も再発掘した。

(2)墳 形

 赤土山古墳の墳丘は、上下2段集成で築いた前方後円形である。下段築成は、前方部側面において墳形が認められる。しかし、墳丘裾の水準が高所となる後円部側面及び先端では地形に伴って下段築成の形状が不明瞭となる。上段築成は、標高110〜111mの比較的水平なプランで前方部から後円部先端・造り出しまで填丘を築き、埴輪列を伴う。第18調査区では、上段築成を区画する埴輪列iが見つかり、上段墳丘の裾が判明した。上段築成を区画する後円部側面は直線状な形状で、側面切りしたような墳形となる。また、後円部先端も造り出しの左右で後円部の形状が異なる。前方後円形であるが変則的な造りを見る。

(3)遺構について

a.集石遺構
 後円部の南側から南北11m、東西10mにわたっておびただしい石敷きを検出した。石敷きには、東西長4.8m、南北幅3.5m、深さ0.5mの石を敷き詰めた落ち込みIがある。石敷きの西辺には、南北長11m、幅3.5mの溝状をなした落ち込みIIIを伴う。また、落ち込みIIIに接する石敷き面の際には、落ち込みIIIに沿って並ぶ柱穴の跡がある。出土遺物は少ないが、6世紀後半頃の須恵器破片が落ち込みIII付近から出土している。また、石敷きの北側、後円部との間には石組み溝がある。石組み溝の先端には、南北長3.5m、幅2〜2.5m、深さ0.6〜1.Omの落ち込みIIを伴う。石組み溝は、落ち込みIIから落ち込みIIIへ溝状に連なっている。集石遺構の時期は、出土遺物に須恵器を伴うこと、埴輪列G・Hを切り込んで築いており、赤土山古墳の築造後に構築された祭祀遺構と思われる。

b.埴輪列
後円部の南側から埴輪列を検出した。

埴輪列G
写真
後円部の南東側から南側にかけて並ぶ埴輪列で、平成元年の調査では約20基の円筒埴輪底部を検出した。今回は、その一部を調査し、埴輪を配置した布掘り跡とその内部に残る円筒埴輪の底部を検出している。墳丘より南方へ大きく広がる点が特徴である。
埴輪列H
写真

後円部の南側、上段築成を築いた墳丘裾より7m外側で検出した。1mにも達する深い布掘りがあり、朝顔形及び円筒埴輪がほぼ原形のまま出土している。検出状況は、朝顔形埴輪を肩部まで、円筒埴輪は口縁部付近まで埋めている。

埴輪列Hのイラスト
およそ1m程掘り下げた布掘りに、埴輪を並べる。円筒埴輪は口縁部が、朝顔形埴輪は肩部から口縁部までが、地上に露出しながら並ぶ。 6世紀後半頃に構築された集石遺構によって、埴輪列が埋められる。 その後、地震によって激しく地盤が動揺し、地割れが発生する。土中にあった埴輪列が地盤の圧縮によって変形する。

埴輪列i
写真

後円部南面の墳丘斜面から出土した。上段築成の裾を区画する埴輪列である。布掘りの痕跡があり、円筒埴輪の底部が出土している。

C・下層遺構
後円部の南側、埴輪列Gの下部から整然と並ぶ基底石と茸石を検出した。検出の過程では、茸石に伴い埴輪片も出土している。後円部上段築成の裾から15m程外側に所在し、基底石の水準は標高107.5m、上段築成の裾より3m程低い。古墳を築造する際の基盤造りと孝えられ、築造の展開では盛り土によって埋め戻される。埴輪列Gは、盛り土後に区画される。

(4)出土遺物

後円部の南側、第18調査・東区から石製腕飾類や石製模造品が出土した。出土状態は、後円部の裾に落ち込んでいた転落石に混じって見つかったもので、埋葬施設に伴っていた遺物が、地滑りなどによって墳丘裾に落ち込んだものと思われる。

a.石製品の種類

腕輪 ・緑色凝灰宕製鍬形石 2点 ・緑色凝灰岩製石釧  2点
玉飾り ・滑石製勾玉(大)  2点
・滑石製勾玉(小)  16点
・滑石製玉杖(杖頭部)1点
・緑色凝灰岩製杖頭部品1点
・緑色擬灰宕製管玉   26点

・緑色凝灰岩製玉杖(軸部)2点
その他 ・緑色凝灰岩製合子(蓋)1点
・滑石製品       1点
・緑色凝灰岩製合子(身)1点
刀剣 ・滑石製刀子   3点
・滑石製剣    1点
・滑石製太刀(刀身部)1点
・緑色溌灰岩製鍬   1点

 出土した遺物の中でも珍しい石製品は、滑石製の玉杖形石製品である。形態的には、琴柱形石製品にも類するもので、現存長が8.7cm、先端を欠損しているため本来は10cm程度の大形品と推測される。装飾には表裏が認められ、碧玉や緑色凝灰岩で造られていた琴柱形石製品の古い特徴が認められる。杖などの頭部に取り付けた飾り付けと考えられる。

●鍬形石(腕飾り)/鍬形石の複製品/石釧(腕飾り)/石釧の複製品の写真を別ウィンドウに表示
●玉杖型石製品(杖の頭部飾り)の写真を別ウィンドウに表示
●合子(石製の入れ物)/勾玉/刀子(ナイフ形の石製品)/管玉の写真を別ウィンドウに表示

第18調査:西区では、墳丘裾に2〜3mの段差を築き、基底部の水準に落差を伴う。この段差によって墳丘の下段築成は地形に止まり、上段築成が墳丘裾となる。埴輪列Hは、段差の上面に配置されもので墳丘(上段築成)裾より7m外側に区画されている。墳丘裾に並んだ埴輪列とは異なり、朝顔形埴輪の上部を形作る壷形や円筒埴輪の口縁部だけを地表面に露出させている。墳丘側との境界を示したものと思われる。

第18調査:西区の墳丘と埴輪列の様子
第18調査西区のイラスト

(5)調査成果

後円部南面の墳丘形状は、2段築成の墳丘斜面において上段築成の裾から埴輪列 i を検出した。墳形はくびれ部の調査成果(第15調査区)から前方後円形を基本とするが、後円部の側面観は直線的な区画形状をもつ墳形であった。典型的な前方後円墳に比べると、墳形は変則性を伴う。丘陵上に築いた大形古墳なだけに、地形的な条件を伴っていたのかもしれない。

赤土山古墳の埴輪列は、これまでの調査成果から墳丘上段の裾に伴い、墳頂部にも配置している。後円部南側で検出した埴輪列GHは、水準的には墳丘裾に並ぶ埴輪列と同様であるが、墳丘の外側に配置された点に違いがある。奈良県河合町のナガレ山古墳でも、墳丘裾に並ぶ埴輪列とは異なる古墳の外側に墓域を示す埴輪列が見つかっている。埴輪列G・Hも同様なものではないだろうか。

墳丘を築造する際に、盛り土で埋め戻した下層遺構がある。下層遺構には茸石を伴い、築造過程で埋め戻され古墳が完成した段階には土中に隠されたものである。下層遺構は、古墳の南東側に面した斜面に所在し、局部的な構造である。茸石は地山面に直接施され、古墳を築造する際の基盤造りに伴うものと思われる。

集石遺構は、古墳時代後期後半頃に築いた遺構で、おびただしい石材を用いて石敷き面と石敷きで区画した落ち込み、溝がある。石敷き面の西辺を区画する落ち込みIIIに沿って、柱穴の跡もある。様子から祭祀遺構と推測するが、祭祀的な遺物や祭祀跡を示すような出土状態は認められなかった。調査の経過中には、落ち込みIIから落ち込込みIIIへの石組み溝の形状が導水施設ではないかとする指摘も得ている。現段階では集石遺構と呼ぶが、検討を重ねたい。

後円部南側から出土した多数の石製品は副葬品の一部と思われ、時期は古墳時代前期末、中期初め頃と推測される。赤土山古墳の副葬品を知る貴重な資料となった。

|解説|墳形後円部南側の調査遺構図埴輪図面下層遺構の土層図

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