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南所3号墳

説明文南所3号墳の位置南所3号墳の墳丘と調査区横穴式石室模式図出土状況箱式石棺箱式石棺脇出土須恵器

南所3号墳
現地説明会資料
平成14年9月7日
大手前大学史学研究所

1 はじめに

 わたくしたちは7月8日より南所3号墳の発据調査を進めてまいりました。その結果、埋葬施設の形や作り方、墳丘などについてさまざまな知見を得ることができました。古墳時代の研究やこの地域の古代史を考える上で重要な資料となる古墳と考え、ここに調査結果をご報告します。
 今回の調査では、地権者をはじめとする地元のみなさま方から多大なご恩恵を得ることができました。心から感謝申し上げます。

2 南所3号墳の立地・環境と調査の経過

 南所3号墳は武庫川と有馬川の合流点をのぞむ台地上に位置する古墳です。その西方には古墳らしい低い高まりが2箇所あり、それぞれ1、2号墳とされていますが、損壊が進んでおり詳しい内容はわかりません。それに比べて3号墳は隆々たる墳丘が良好に残存し、また調査前から横穴式石室の一部が顔をのぞかせていました。
 南所3号墳の築かれた武庫川上流域では多くの横穴式石室墳が確認されており、横穴式石室の導入と展開の過程を研究する上で特色ある地域とされてきました。南所3号墳はそうした中でも特徴的な横穴式石室墳であり、この地域の古墳を研究するための重要な資料になると考えられます。

3 調査の結果

<墳丘>
墳丘の直径は22m前後と推定され、現在の高さは3.2m。周濠(しゅうごう)(古墳のまわりにもうけられた溝)・葺石(ふきいし)(墳丘の表面に敷かれた石)・埴輪は認められません。
 墳丘西側の調査区では、墳丘端の位置を確定し、古墳の大きさを復元することを目的として調査しました。しかし後世に土が削られており、本来の裾は確認できませんでした。ここでは、墳丘はこの丘陵を覆う礫層の上に土を積んで築かれていること、墳丘のほとんどがこの盛り土によってかたちづくられていることがわかりました。
<埋葬施設>
埋葬施設は、中心となる横穴式石室と、墳丘脇にもうけられた箱式石棺とが確認されました。
【横穴式石室】
a 形状と構造
 南に向かって開口しています。現状では石室上半部の大半が破壊されています。しかし下半部は奥から先端にいたるまで良好に残存し、また奥壁は天井まで完存しています。玄室(げんしつ)(死者を置く空間)は平面形が長方形となり、羨道(せんどう)部(玄室への通路)はその片側の壁に沿って設けられています。奥壁からみて羨道部が右側に付き、左側が袖部となる「左片袖(ひだりかたそで)式」の横穴式石室です。羨道部の先端には地山(じやま)(自然の堆積層)を掘り込んだ傾斜道を設けています。
 石室の下部は地山の礫層を掘り込んで造った穴の中に築かれ、それより上部は細かい単位で盛り土を積んで壁を支えています。石室の下部が墳丘の裾より低いところに位置する半地下式となります。入り口となる傾斜道からもぐって入り、羨道を通って死者の世界となる玄室にたどりつくことになります。
 石室の壁は厚い板状の石材を多数用い、おおむね目地(めじ)がとおるように丁寧に積んで形作られています。石積みは奥壁の多い部分で13段にも及びます。玄室部は側壁の持ち送り(上方になるほど内側に傾斜するように石を積む)がいちじるしく、奥壁も若干傾斜しており、その上部に大きな天井石が据えてあります。また床面には板石が敷き詰められ、一部は羨道部におよんでいます。床面には板石とともに小礫も用いられていたようです。
 玄室の大半は床面まで後世に荒らされています。かろうじて玄門(げんもん)(玄室の入り口部)付近が本来の副葬品の配置状況を示しているものと考えられます。遺骸を納めるためには木棺を用いていたものと思われますが、明瞭な痕跡は確認できていません。
 須恵器をみると、6世紀前半のものから後半に下るものまで各時期のものがふくまれています。この石室には長期にわたり、2〜3回程度埋葬がおこなわれていたようです。羨道部には死者を葬る度に石を用いて通路を閉じた跡があります。
 そのように後から遺骸を追加して納めること(追葬(ついそう))ができるのは横穴式石室の大きな特色です。
b 規模
全長  8.9m(石積み部分7.3m 入口部分1.6m)
玄室長 4.5m  幅 2.6m(奥壁)〜2.7m(中央部)
               *玄室長/幅=1.7
羨道長 2.8m
袖幅  1.6m
幅   1.1m(玄門)〜1.2m(羨門)
玄室天井部の高さ  2.7m
c 出土遺物
装身具 耳環(じかん)(耳飾り 銅製、鍍金の有無不明)
碧玉(へきぎょく)製管玉
ガラス玉
武器 鉄鏃(てつぞく)(鉄の矢じり)、刀
馬具 轡(くつわ)(素環鏡板付)
石製品 紡錘車(滑石(かっせき)製 斜格子文とクモの巣状の線刻)
土器類(須恵器(すえき)一蓋杯・高杯・壷ほか、土師器(はじき)一高杯・坩ほか)
【箱式石棺】
a 形状と規模
 墳丘の東側に付属する埋葬施設であり、板石を立てて箱状に組合せ、上に蓋石をのせています。
            現存長 2.2m 幅0.5m 高さ0.85m
b 出土遺物
            鉄製品
            土器類(須恵器一蓋杯 壷)
 石棺脇の盛り土内に須恵器の壷が2点、口頸部を打ち欠き、上下を逆さにして置かれているのが見つかりました。この埋葬施設に供えられていたものと考えられます。
 この箱式石棺と横穴式石室とがどのような順序で造られたのか、今のところよくわかっていません。

4 調査の成果

 今回の調査の大きな成果は、この横穴式石室が古い時期にさかのぼること、形態・構造が特徴的であり、横穴式石室を研究する上で重要な資料となることにあります。
 南所3号墳は出土した須恵器の型式(形態や製作技法)、石室の構造から6世紀前半(古墳時代後期)に造られたものと考えられ、神戸市およびその周辺でもっとも古い横穴式石室墳であることが判明しました。兵庫県下でも古式の横穴式石室のひとつに数えられます(近くでは川西市勝福寺古墳、ほかにも県内で数基確認されています)。
 横穴式石室は古墳時代の中ごろに朝鮮半島から伝えられた新しい埋葬方式であり、その導入は古墳時代の葬制や社会全体の変化とむすびつく大きな変革期と評価されています。とくに追葬がおこなわれ、また墓室内で土器を用いて食物を供える埋葬儀式がおこなわれるようになったことは、「黄泉国(よみのくに)=死者の国」の存在を意識するようになったことを示すものとも考えられています。
 横穴式石室は6世紀の中ごろ以降になって、近畿地方の各地で多数つくられるようになります。南所3号墳の石室は、多数の石を用いて構築している点や玄室の暗が広く、袖部が明瞭につくりだされている点などが、近畿地方、とくに大和を中心に分布する横穴式石室の古い特徴を示しています。横穴式石室が普及してゆく初期の形態を示す貴重な資料です。須恵器や鉄製品、石製品など出土品も豊富であり、また構築方法もよくわかることから、今後横穴式石室の変遷過程を研究する上で基準資料となるでしょう。
 神戸市北区から三田市にかけての武庫川上流地域には多くの横穴式石室墳が分布しています。今回の調査によってこの地域がはやくに横穴式石室を導入していたことが判明しました。古墳時代のこの地は、新しい埋葬風習をいちはやく取り入れた地域であったと評価されます。

説明文南所3号墳の位置南所3号墳の墳丘と調査区横穴式石室模式図出土状況箱式石棺箱式石棺脇出土須恵器

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