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心合寺山古墳 第10次発掘調査

説明文調査区位置図調査区詳細図埴輪列出土状況調査位置模式図

心合寺山古墳 第10次発掘調査 現地説明会資料
2002年12月15日(日)
八尾市教育委員会文化財課

【心合寺山古墳について】
 心合寺山古墳は、八尾市大竹にある古墳時代中期に築造された全長約160mの前方後円墳です。周囲には西の山古墳、花岡山古墳、向山古墳、鏡塚古墳などがあり、これらを総称して「楽音寺・大竹古墳群」た呼んでいます。北・南河内地域で最も大きな前方後円墳で、昭和41年に国の史跡に指定されました。
 これまでの調査から、3段簗成の墳丘で「造出(つくりだし)」と「方形壇(ほうけいだん)」を持ち、後円部には3基の埋葬施設(粘土槨(ねんどかく)が」あることがわかっています。この埋葬施設からは「き鳳鏡(ほうきょう)」や冑甲(かっちゅう)、刀剣類が、造り出しからは「水の祭祀場を表した埴輪が出土しています。

【調査の成果】

 後円部北側の墳丘の上段から下段にかけて調査を行ない、上段斜面と中段斜面の葺石(ふきいし)裾と下段平坦面の埴輪列(はにわれつ)を良好な状態で検出しました。
 埴輪列は
中段の葺石裾から3.5m外側に位置しています。合計24本の円筒埴輪が、普通円筒埴輪10本、大型円筒埴輪1本の配列で並べられ、その列の外側に盾型(たてがた)埴輪1本が立ててありました。この盾形埴輪は、樹立した状態で出土したもので、線刻模様のある盾の面を外側に向けてあります。
 円筒埴輪は、口縁部までほぼ完全な形のものも多くあり、それぞれ口縁部(こうえんぷ)を接する形ですきまなく立て並べている様子がよくわかります。
 
中段の葺石は、基底石とその上およそ5段分、高さにして約50〜60cmが検出できました。斜面の一番下に40cm前後の大きな石(基底石(きていせき))を横方向に並べ、そこから縦方向にも大きめの石(区画石)を並べ、その間をやや小さめの石で葺いている様子が見られます。
 
上段の葺石は墳丘に張り付いた状態で、欠落している部分もありますが、裾部分の基底石と考えられる石が数個みられ、弧状(こじょう)に並んでいる状況が確認できました。
【まとめ】
 今回の調査の成果としては、
(1)埴輪列の残りがよく、完全な形で埴輪列を確認したこと。
(2)盾形埴輪が埴輪列の外側で樹立した状態のまま出土したこと。
(3)大型前方後円墳の埴輪列の原位置での出土例は全国的にもなく、埴輪の配列を考える上で、貴重な資料となること。
(4)今までの調査で不明であった後円部北側の中段葺石や基底石が確認でき、段築の状況が明らかになったこと。があげられます。

以下、展示されていた説明パネル

心合寺山古墳は、中河内で最も大きな前方後円墳で、今から約1500年前に造られたものです。これまでの史跡整備のための調査では、葺石の葺かれた古墳の裾や埴輪列などがみつかっています。平成6年度は墳丘周囲の池が古墳本来の壕であるか否かを確認するため、後円部北側を発掘したところ、周濠の間で埴輪列を確認しました。
 確認した埴輪列は径の小さな埴輪を10本はさんで、径の大きな埴輪を並べていました。また、埴輪列の位置から、後円部は現況よりひとまわり大きくなり、古墳の全長は140m異以上になることがわかりました。今後も調査をすすめていく予定です。

以下、展示されていた説明パネル

心合寺山古墳は、古墳時代中期(5世紀前半・約1600年前)に造られた前方後円墳で、中・北河内最大の大きさである。史跡整備のため発掘調査を平成9年度から行っており、これまでの調査で、全長が160m前後になると、三段築成で、「造り出し」「方形壇」をもつことや、お墓の主を葬った施設の内容などが明らかになっている。
 平成12年度の調査では、後円部で上段斜面の葺石を、前方部墳頂東側では平坦面の埴輪列を確認し、前方部南側では、中段および下段斜面の葺石と周濠内に樹立した状態の円筒埴輪1固体を検出し、古墳墳丘の中軸線と南端を確定した。

説明文調査区位置図調査区詳細図埴輪列出土状況調査位置模式図

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