配付資料
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藤原宮朝堂院東門と東第二堂の調査
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|説明文|図1:調査位置図|図2:平安宮朝堂院概念図|
|図3:日本古文化研究所のトレンチ位置図|図4:日本古文化研究所による復元図|
|図5:諸宮中枢部の変遷
|図6:107次/120次/125次調査区の位置関係|
|図7:125次調査出土の軒瓦|図8:125次調査遺構位置図|表1:朝堂院東西門の規模比較|
飛鳥藤原第125次調査 |
1.はじめに 藤原宮は、持続8年(694)から和銅3年(710)まで、持続・文武・元明の三代にわたって営まれた宮殿です。その藤原宮のある藤原京は天武5年(676)に造営計画が作られ、紆余曲折を経ながら、持続8年に遷都が行われたと考えています。この藤原宮では、民間の日本古文化研究所が戦前に発掘調査を行い、中枢部である太極殿院や朝堂院建物のほぼ全容を明らかにしました。奈良文化財研究所では、過去の発掘調査の研究上の課題を解決し、新たな知見を得ることを目的に、藤原宮中枢部を面的に広く発掘する調査を1999年以来、継続的に行っています。 2.検出した主な遺構 東 門 調査区南東では東面回廊(かいろう)に開く門を検出しました。後述する回廊の東西両雨落溝(あまおちみぞ)が調査区北側1/3程度の位置で、東西に屈折して張り出しを持つことから、門と推定しました。礎石据付掘形(そせきすえつけほりかた)は9カ所、礎石落込み穴は6カ所(礎石は7個)を検出しました。礎石据付け掘形の遺存状態は悪く、その規模は小型のものですが、落し込まれた礎石の大きさは150cmを越え、東第二堂のものより大型です。それにあわせ、礎石捨込み穴も東第二堂のものより大きい傾向にあります。確認した礎石据付掘形の位置関係から、この門の柱間は梁行・桁行ともに17尺と想定できます。梁行は2間ですので、東西10.2m(34尺)の長さになります。東門北端の柱筋と、後述する東第二堂南端の桂筋が一致していることから、南端の柱筋も、東第三堂北側の柱筋に揃えた可能性は高いといえます。よって梁行は3間で、51尺の長さになると推定できます。以上から東門は、梁行2間×桁行3間(柱間17尺等間)の礎石建ち八脚門に復元できます。なお朝堂院内の東門の前面には、散漫な分布ですがバラス敷きを検出しました。 東面回廊 調査区北東では、第100次、107次、120次調査で確認していた東面回廊の続きを検出しました。回廊は瓦葺礎石建ちの複廊で、柱間は桁行4.2メートル(14尺)、梁行(10尺)と復元しています。今回の調査では礎石据付掘形を明確に認識できたのは2カ所でした。掘形の規模は径100cm、深さ10cmです。また東面回廊の東側柱想定位置の東2メートル、西面回廊の東側柱想定位置の西2メートルにそれぞれ雨落ち溝を検出しています。 東第二堂 今回の調査では、梁行で5間分、桁行で2間分の合計16ヵ所の礎石据付掘形を確認しました。礎石据付掘形の規模は、長さ200cm、幅170cm、深さ30cm程度で、その中には、礎石を安定させるための直径10cm位の栗石を多数検出しました。さらに後世に礎石を捨て込んだ穴も3カ所検出しています。捨て込まれていた礎石の大きさは、最も大きいもので、120cm×70cm程度です。今回検出した南側の柱筋は、日本古文化研究所の調査結果とほぼ同じ位置であり、第120次調査の結果もあわせて考えると、東第二堂の規模は、梁行5間、桁行15間であることが確定しました。柱間は桁行約4.2メートル(14尺)、梁行約3メートル(10尺)ですから、南北は62メートル、東西は15メートルになります。また西側柱筋の西2メートル、東側柱筋から東2メートルの位置にそれぞれ南北溝を検出し、その二つに接続する東西溝も、南側柱筋から4.2メートル離れた位置から検出しました。二つの南北溝は、120次調査で確認した二つの南北溝の続きです。西側の南北溝は、後世の耕作溝に壊されて遺存状態が悪く、全体像は不明ですが、西側の柱筋の礎石据付掘形が掘られる以前に、埋没していたことを確認しています。 3.主な出土遺物 出土遺物の大半は、瓦と土器でしたが、なかでも瓦の量は膨大なものでした。瓦が多く出土したのは東第二堂南側、及び東側にあたる回廊・東門との中間です。その分布状況から東第二堂・東面回廊・東門に使用されていた瓦と考えられます。東第二堂南端で出土した軒瓦は、東第一堂や東第二堂北半分で出土したものと、そして回廊付近で出土した瓦は、第100次・第107次・第120次調査で出土したものと同じ傾向をもっています(図7)。また調査区北側では5世紀前半の埴輪が比較的多く出土しています。かつてこの付近に古墳があり、藤原京造営の際に削平・整地された可能性があります。 4.成果と課題 東面回廊東門の存在の確認 過去の日本古文化研究所他の発掘調査で未確認の朝堂院東門を確認し、その規模を把握できたのは今回の大きな成果です。門の南側1/3程度は調査区外ですが、その平面規模は、桁行3間×梁行2間(柱間17尺等間)と考えています。現在まで調査されている藤原宮宮城門は合計4カ所で、そのすべてが桁行5間×梁行2間(柱間17尺等間)という規模を持っています。今回確認した朝堂院東門は、桁行の一回り小さな門であるといえます。朝堂院の回廊のほぼ中央に取り付く門の存在は、平城宮(へいじょうきゅう)東区朝堂院上層(通称:第二次朝堂院)、長岡宮(ながおかきゅう)朝堂院、平安宮朝堂院で知られています。しかし平城宮東区朝堂院上層と平安宮朝堂院は、小規模な発掘であったり、遺存状態が悪かったため、その基壇規模・建物規模の復元には至ってはいません。また長岡宮朝堂院の場合、基壇規模・建物規模の復元がされていますが、それは門全体1/4程の部分的な調査成果による復元です。今回の調査では、高い確度で基壇規模・建物規模の復元を行うことができたと考えています。 |
|説明文|図1:調査位置図|図2:平安宮朝堂院概念図|
|図3:日本古文化研究所のトレンチ位置図|図4:日本古文化研究所による復元図|
|図5:諸宮中枢部の変遷
|図6:107次/120次/125次調査区の位置関係|
|図7:125次調査出土の軒瓦|図8:125次調査遺構位置図|表1:朝堂院東西門の規模比較|
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