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藤原宮朝堂院東門と東第二堂の調査

説明文図1:調査位置図図2:平安宮朝堂院概念図
図3:日本古文化研究所のトレンチ位置図図4:日本古文化研究所による復元図
図5:諸宮中枢部の変遷 図6:107次/120次/125次調査区の位置関係
図7:125次調査出土の軒瓦図8:125次調査遺構位置図表1:朝堂院東西門の規模比較

飛鳥藤原第125次調査
現地説明会資料
2003年3月15日
藤原宮朝堂院東門と東第二堂の調査
独立行政法人 文化財研究所
奈良文化財研究所 飛鳥藤原宮跡発掘調査部

調査遺構位置図を別ウィンドウに表示

1.はじめに

 藤原宮は、持続8年(694)から和銅3年(710)まで、持続・文武・元明の三代にわたって営まれた宮殿です。その藤原宮のある藤原京は天武5年(676)に造営計画が作られ、紆余曲折を経ながら、持続8年に遷都が行われたと考えています。この藤原宮では、民間の日本古文化研究所が戦前に発掘調査を行い、中枢部である太極殿院や朝堂院建物のほぼ全容を明らかにしました。奈良文化財研究所では、過去の発掘調査の研究上の課題を解決し、新たな知見を得ることを目的に、藤原宮中枢部を面的に広く発掘する調査を1999年以来、継続的に行っています。
 今回の調査地は、当時の政務・儀式・饗応が執り行われた朝堂院(ちょうどういん)地区です。その規模はおよそ東西235メートル、南北318メートルの広大なもので、長方形の形をしています。朝堂院には左右対称に、合計12の建物(朝堂)が配置され、その外側には回廊がめぐっていました。北側には大極殿院(だいごくでんいん)、南側には朝集殿(ちょうしゅうでん)があり、朝堂院も含めて藤原宮の中枢部を形成しています。今回発掘調査を行ったのは、東面回廊に開く東門と、北側から二番目の建物、朝堂院東第二堂です。(
第1図)。平安時代の資料にょれば、東門は「宣政門(せんせいもん)」、東第二堂は大納言(だいなごん)・中納言(ちゅうなごん)・参議(さんぎ)の座が設けられた「含章堂(がんしょうどう)」とよばれていました(第2図)。実際の国政審議は、大臣クラスの座の設けられた東第一堂(昌福堂(しょうふくどう))で行われましたが、大臣不在の場合は、東第二堂がその役割を担うこともありました。
 東門推定位置の調査は、戦前に日本古文化研究所によって一度行われています。しかしその調査報告書によれぼ、東門の確認には至りませんでした。また東第二堂に対する調査は過去に二回行われています。一度目は、日本古文化研究所による調査です。調査は部分的なものでしたが、桁行(けたゆき)15間(一間14尺で62メートル)と梁行(はりゆき)4間(一間10尺で12メートル)の長大な建物が確認されています(
図34)。また、昨年4月〜8月に行った奈良文化財研究所の北半分での調査(飛鳥藤原調査120次)では、日本古文化研究所の調査結果の一部を覆す、調査成果が出ています。その一つは日本古文化研究所の調査では梁行4間(12メートル)とされていますが、実際は5間(15メートル)であることがわかったことです。また棟通の位置に小規模な礎石据付痕跡も見つかりました。これについては床を支えるための柱を立てるものであり、東第二堂には床が張られていた可能性を考えています。
 今回の発振調査では、東面回廊の中間付近での東門の存否を確認すること、そして東第二堂の南端を検出してその規模を確認することを目的としました。調査面積は約970平方メートルで、1月7日より調査を開始し、3月末で終了の予定です。

2.検出した主な遺構

東 門 調査区南東では東面回廊(かいろう)に開く門を検出しました。後述する回廊の東西両雨落溝(あまおちみぞ)が調査区北側1/3程度の位置で、東西に屈折して張り出しを持つことから、門と推定しました。礎石据付掘形(そせきすえつけほりかた)は9カ所、礎石落込み穴は6カ所(礎石は7個)を検出しました。礎石据付け掘形の遺存状態は悪く、その規模は小型のものですが、落し込まれた礎石の大きさは150cmを越え、東第二堂のものより大型です。それにあわせ、礎石捨込み穴も東第二堂のものより大きい傾向にあります。確認した礎石据付掘形の位置関係から、この門の柱間は梁行・桁行ともに17尺と想定できます。梁行は2間ですので、東西10.2m(34尺)の長さになります。東門北端の柱筋と、後述する東第二堂南端の桂筋が一致していることから、南端の柱筋も、東第三堂北側の柱筋に揃えた可能性は高いといえます。よって梁行は3間で、51尺の長さになると推定できます。以上から東門は、梁行2間×桁行3間(柱間17尺等間)の礎石建ち八脚門に復元できます。なお朝堂院内の東門の前面には、散漫な分布ですがバラス敷きを検出しました。

東面回廊 調査区北東では、第100次、107次、120次調査で確認していた東面回廊の続きを検出しました。回廊は瓦葺礎石建ちの複廊で、柱間は桁行4.2メートル(14尺)、梁行(10尺)と復元しています。今回の調査では礎石据付掘形を明確に認識できたのは2カ所でした。掘形の規模は径100cm、深さ10cmです。また東面回廊の東側柱想定位置の東2メートル、西面回廊の東側柱想定位置の西2メートルにそれぞれ雨落ち溝を検出しています。

東第二堂 今回の調査では、梁行で5間分、桁行で2間分の合計16ヵ所の礎石据付掘形を確認しました。礎石据付掘形の規模は、長さ200cm、幅170cm、深さ30cm程度で、その中には、礎石を安定させるための直径10cm位の栗石を多数検出しました。さらに後世に礎石を捨て込んだ穴も3カ所検出しています。捨て込まれていた礎石の大きさは、最も大きいもので、120cm×70cm程度です。今回検出した南側の柱筋は、日本古文化研究所の調査結果とほぼ同じ位置であり、第120次調査の結果もあわせて考えると、東第二堂の規模は、梁行5間、桁行15間であることが確定しました。柱間は桁行約4.2メートル(14尺)、梁行約3メートル(10尺)ですから、南北は62メートル、東西は15メートルになります。また西側柱筋の西2メートル、東側柱筋から東2メートルの位置にそれぞれ南北溝を検出し、その二つに接続する東西溝も、南側柱筋から4.2メートル離れた位置から検出しました。二つの南北溝は、120次調査で確認した二つの南北溝の続きです。西側の南北溝は、後世の耕作溝に壊されて遺存状態が悪く、全体像は不明ですが、西側の柱筋の礎石据付掘形が掘られる以前に、埋没していたことを確認しています。

3.主な出土遺物

 出土遺物の大半は、瓦と土器でしたが、なかでも瓦の量は膨大なものでした。が多く出土したのは東第二堂南側、及び東側にあたる回廊・東門との中間です。その分布状況から東第二堂・東面回廊・東門に使用されていた瓦と考えられます。東第二堂南端で出土した軒瓦は、東第一堂や東第二堂北半分で出土したものと、そして回廊付近で出土した瓦は、第100次・第107次・第120次調査で出土したものと同じ傾向をもっています(図7)。また調査区北側では5世紀前半の埴輪が比較的多く出土しています。かつてこの付近に古墳があり、藤原京造営の際に削平・整地された可能性があります。

4.成果と課題

東面回廊東門の存在の確認 過去の日本古文化研究所他の発掘調査で未確認の朝堂院東門を確認し、その規模を把握できたのは今回の大きな成果です。門の南側1/3程度は調査区外ですが、その平面規模は、桁行3間×梁行2間(柱間17尺等間)と考えています。現在まで調査されている藤原宮宮城門は合計4カ所で、そのすべてが桁行5間×梁行2間(柱間17尺等間)という規模を持っています。今回確認した朝堂院東門は、桁行の一回り小さな門であるといえます。朝堂院の回廊のほぼ中央に取り付く門の存在は、平城宮(へいじょうきゅう)東区朝堂院上層(通称:第二次朝堂院)、長岡宮(ながおかきゅう)朝堂院、平安宮朝堂院で知られています。しかし平城宮東区朝堂院上層と平安宮朝堂院は、小規模な発掘であったり、遺存状態が悪かったため、その基壇規模・建物規模の復元には至ってはいません。また長岡宮朝堂院の場合、基壇規模・建物規模の復元がされていますが、それは門全体1/4程の部分的な調査成果による復元です。今回の調査では、高い確度で基壇規模・建物規模の復元を行うことができたと考えています。
 また平城宮東区朝堂院以前の時代には、東門が存在するかは不明でした。今回藤原宮朝堂院で確認したことにより、藤原宮以後、平城宮東区朝堂院(上層)以前に造営された後期難波宮(なにわのみや)朝堂院、平城宮東区朝堂院下層にも、東西の門が存在していた可能性を指摘できます。一方、藤原宮造営以前の宮殿として前期難波宮がありますが、調査の結果からは門が存在する可能性は低く、現状では藤原宮朝堂院東門は朝堂院の東西門は最も古い例といえます。この時期から朝堂院の東西に門が取り付く理由については、宮内の他の建物群との関係や、朝堂院で行われた政務・儀式の在り方の変化等を多角的に検討する中で判断すべきものと考えています。
朝堂院東第二堂の規模を確定 東第二堂の南端を確認したことにより、東第二堂の規模は、梁行5間、桁行15間であることが確定しました。柱間は桁行約4.2メートル(14尺)、梁行約3メートル(10尺)ですから、南北は62メートル、東西は15メートルになります。また第120次の調査結果と同様に、当初東第二堂は梁行4間で計画されていましたが、建設の途上で梁行5間に変更されたことを明らかにした一方で、棟通りの床柱については、今回の調査では検出予定地点の遺存状態が悪かったため、確認できませんでした。

説明文図1:調査位置図図2:平安宮朝堂院概念図
図3:日本古文化研究所のトレンチ位置図図4:日本古文化研究所による復元図
図5:諸宮中枢部の変遷 図6:107次/120次/125次調査区の位置関係
図7:125次調査出土の軒瓦図8:125次調査遺構位置図表1:朝堂院東西門の規模比較

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