配付資料
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双築古墳
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030201(財)桜井市文化財協会 |
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双築(なみつき)古墳発掘調査現地説明会資料 1.はじめに
【文献】
2 調査の概要 桜井公園の整備に先立って、平成14年7月25日から調査を行っています。双築古墳のある尾根付近ではこれまでに古代から中世の火葬墓に伴うと考えられる遺物が確認されていますが(文献1)、その地形から以前より古墳の存在が推定されていました。今回の調査では主に墳頂に相当する部分と、その北東側の平坦地に調査区を設定しました(図2)。その結果古墳時代前期と後期に属する埋葬施設と、古墳の周囲を巡ると考えられる溝状の遺構が確認されました。 3 双築古墳(双築1号墳)の概要 墳丘 墳丘の南側以外で崩落が著しいため、墳形を確認することは難しくなっています。しかし現状の地形が径20m余の円丘状を呈していることから、円墳である可能性が高いと考えられます。墳丘南側の山塊に接続する部分では墳丘の周囲を巡ると考えられる周溝状の遺構が確認されており、これを基準に復元される墳丘規模は径約30mです。墳頂部および墳裾(すそ)部の調査区からは円筒埴輪・形象埴輪の小片が検出されていることから、墳丘上に埴輪が配列されていたことが推定されます。なお葺石(ふきいし)や段築の存在は確認されていません。 中心主体部(古墳時代前期後半、4世紀後半 図3、図8) 墳頂のほぼ中心に位置しています。概要は以下のとおりです。
4 双築2号墳の概要 墳丘 双築古墳(1号墳)の北東側墳裾において確認されました。周溝状の遺構から推定される墳丘規模は径約8mです。この周溝内から鉄鎌、鉄鏃、刀子などの鉄器類のほか、複数の須恵器が検出されています。これらの遺物から5世紀末~6世紀初頭の時期に築かれた古墳であると考えられます。 双築2号墳埋葬施設 双築2号墳の墳丘上で確認されました(図2)。墓壙は東西方向に長さ3.4m、幅1.5mで、双築古墳中心主体部と同様に2段に掘り込む形態です。長さ2.8m、幅60cmの割竹形木棺がおさめられ、棺内からは鉄製の刀子とやりがんなが1点ずつ検出されました。なおこの埋葬施設は2号墳墳丘上にあるものの、墳丘の中心から大きく西に偏った位置につくられています。このことから2号墳墳丘に伴う埋葬施設であるかどうかは現状では判断できません。この遺構の時期については、現在整理中の鉄器の詳細な検討を待って再考したいと思います。 5 周辺埋葬施設の概要 竪穴式石室(古墳時代後期前半、6世紀前半) 双築古墳墳丘の北東側の調査区で3基確認されています。調査区東南端の石室(1)は長さ4.3m、幅2.5mの竪穴の墓壙に、内法長3.lm、幅0.8mの縦長の平面プランをもつ石室が構築されています。後世のかく乱のために多くの石材が抜き取られていますが、床面からは須恵器短頸壷と無蓋高杯、土師器壷などが検出されました。 6 確認された古墳の評価について 双築古墳の位置付け 今回確認された双築古墳は径30mという、円墳としてはやや大きな墳丘をもつ古墳である可能性が高くなりました。奈良県内の古墳時代前期に属する30m以上の円墳は、いずれも奈良市域や葛城地域など奈良盆地の北部・西部に集中しており、桜井市などの奈良盆地東南部で確認されたのは本例がはじめてになります(図6)。 墳裾の竪穴式石室 双築古墳墳丘の北東裾で確認された3基の竪穴式石室はいずれも古墳時代後期に属するものと考えられ、双築古墳とは1世紀以上の時期差が存在します。しかしこれらは双築古墳墳丘を巡るように配置され、双築古墳被葬者を意識したものと考えることができるでしょう。このように前期古墳の墳裾に後期の埋葬施設が設けられる例は珍しいといえます。また古墳時代後期の小規模な竪穴式石室は遺物を伴うことが少なく、その性格はあまり明らかにされていません。今回確認された竪穴式石室からは比較的多くの遺物が検出されており、その性格を考える上で重要な資料になると考えられます。 図2 遺構配置図 |
配付資料
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