下鈎遺跡

下鈎遺跡 現地説明会資料

2004年7月24日(土)
栗東市教育委員会
(財)栗東市文化体育振興事業団

下鈎(しもまがり)遺跡(04 -01地点)発掘調査概要

所在地 栗東市下鈎1206-2ほか8筆
調査期間 2004.3.10〜継続中
発掘対象面積 約1430平米
調査原因 宅地造成工事
調査主体 栗東市教育委員会
調査機関 (財)栗東市文化体育振興事業団
調査担当 近藤 広

1・はじめに

下鈎遺跡は、伊勢遺跡とともに大型建物をもつ弥生後期の集落として全国に知られている。過去の調査では、大型の棟持柱付掘立柱建物2棟や、大型の柱をもつ門状遺構などが確認されている。また遺物では、銅環や銅鏃20点以上をはじめ、中期の集落からは、全国最小の銅鐸が出土したことでも知られている。

2・調査の概要

1)遺構

弥生中期末(竪穴住居、溝)
弥生後期後半(掘立柱建物、柵、溝、貯水状遺構、土器埋設ピット)

2)遺物

弥生土器(河内など他地域産含む)
石器(石鏃、石匙、砥石、石杵)銅鏃、土製鋳型、編み篭、貝、桃核、骨

3・特殊な遺物について

1) 土製鋳型 →写真

弥生後期後半の区画溝(幅約2.5?3m、深さ約1.2?1.5m)と推定される大溝C区の中層から弥生土器に混じって出土した。

鋳型は11.5p以上×10.4p以上、厚さ約2pで、一見軒平瓦のようなカーブをもつ破片である。内面には、ヘラ状工具により斜格子紋を刻んでおり、真土の付着を考慮したものとされている。また、底部が面取りされていることから銅鐸の裾にあたる部分の鋳型外枠の可能性がある。このような土製鋳型の類例としては、現在10遺跡の出土例がある。内面に刻みなどの細工をしているものとしては、下鈎遺跡を含めて6例存在し、その内4例が滋賀県出土である点が注意される。

  1. 唐古・鍵遺跡(奈良県田原本町)
  2. 新沢一遺跡(奈良県橿原市)
  3. 玉津田中遺跡(兵庫県神戸市)内面刺突
  4. 平方遺跡(兵庫県三田市)
  5. 服部遺跡(滋賀県守山市)内面斜格子
  6. 下々塚遺跡(滋賀県野洲町)内面斜格子
  7. 石田遺跡(滋賀県能登川町)内面斜格子
  8. 吉崎次場遺跡(石川県羽昨市)
  9. 一針B遺跡(石川県小松市)内面斜格子
  10. 池島・福満寺遺跡(大阪府東大阪市)内面斜格子

2) 石杵 →写真

貯水状遺構(後期後半)と推定される土坑(径約3.3×2.7m、深さ約1.2m)に付属する溝状部分から弥生後期の土器とともに出土。

石杵は、いわゆるL字状石杵と呼ばれているもので、長さ約8.5p、重さ約150gを測る。顔料などをすり潰す底面の長さは、約4.7p、幅約2.5pで、光沢をもちかなり使い込んだ様子が伺える。水銀朱の有無を科学分析によって確認したが、認められなかった。おそらく水銀朱が洗い流されたか、水銀朱以外の薬物をすり潰していた可能性も想定できる。ちなみに下鈎遺跡では過去の調査で水銀朱が付着した石杵が1点出土している。

L字状石杵は、管見の限り下鈎遺跡を含めて近畿地方から10遺跡12例しか出土していない。滋賀県では、下鈎遺跡以外に4例が知られている。

  1. 二ツ石戎ノ前遺跡(兵庫県洲本市)
  2. 熊野本遺跡(滋賀県新旭町)
  3. 伝鴨稲荷山古墳周辺(滋賀県高島町)
  4. 酒寺遺跡(滋賀県守山市)
  5. 五村遺跡(滋賀県虎姫町)
  6. 伯母野遺跡(兵庫県神戸市)
  7. 溝之口遺跡(兵庫県加古川市)
  8. 観音寺山遺跡(大阪府和泉市)2点
  9. 古曽部・芝谷遺跡(大阪府高槻市)2点

3)銅鏃 →写真

区画溝と推定される大溝B区の中層土器群(弥生後期)に混じって出土した。

銅鏃は柳葉形とされているもので、長さ約2.1p、厚さ約2oでかなり小さい部類に含まれる。下鈎遺跡では、過去の調査で計20個出土しており、今回の出土品を含めると21点出土したことになる。ちなみに下鈎遺跡以外に1遺跡で20点以上の銅鏃が出土した遺跡は以下の4遺跡のみである。

  1. 朝日遺跡(愛知県清洲町)28点
  2. 桜内遺跡(滋賀県余呉町)37点
  3. 函石浜遺跡(京都府久美浜町)20点
  4. 原ノ辻遺跡(長崎県芦辺町)33点

4・まとめ(発見の意義)

  1. 土製鋳型および石杵の出土は、下鈎遺跡において工人(技術者)集団が存在していたことを決定づけるものと考えられる。
  2. 野洲川流域を代表する弥生集落の下鈎遺跡で銅鐸が製作されていた可能性を示す資料が出土したことは、野洲町大岩山に多量埋納された銅鐸の埋納者、生産地などの謎を解くひとつの鍵になろう。
  3. 下鈎遺跡で2点目となる石杵の出土は、水銀朱の生産が行われていた可能性を示すものであると同時に、水銀朱を不老長寿の薬として使用するに相応しい有力者が下鈎遺跡に存在していたことを裏ずける資料である。
  4. 下鈎遺跡では、銅鏃が多数出土していることと、銅製品生産にともなう湯玉や残滓が出土していることから、下鈎遺跡が青銅品などの生産拠点としての性格をもち、大型建物が多数確認されている伊勢遺跡が祭、政治の拠点とする考え方が存在する。今回出土した土製鋳型はこの考え方を改めて検討する資料になる。