史跡今城塚古墳の第9次調査

調査面積 約84平米
調査期間 平成17年6月27日から
調査主体 高槻市教育委員会
調査担当者 宮崎康雄 佐伯めぐみ

1.はじめに

三島古墳群の中央に位置する今城塚古墳は、6世紀前半に築かれた淀川北岸で最大の前方後円墳です。
全長190m、南北には造出を伴い、墳丘の周囲を巡る二重の濠と堤を含めた長さは350mをはかります。
墳丘は伏見地震(1596年)による大規模な地滑りのため、各所で大きく崩壊しています。

高槻市では今城塚古墳の保存整備に向けた規模確認調査を平成9年度から実施し、古墳本来の姿を追究してきました。今回の第9次調査は、前方部墳丘やテラスの遺存状況並びに埴輪列の状況などを探るためにおこなっています。

規模確認調査位置図
規模確認調査位置図

第9次調査概略図
第9次調査概略図

2.調査でみつかったもの

〔1トレンチ〕

前方部南西隅に設定した1トレンチでは、一段目テラス面上に立てられた埴輪列を検出しました。テラスは標高29m前後をはかり、復元濠水面からの比高は6mです。なお、これまでの調査結果からみた内濠底との比高は7.5mをはかります。埴輪列はその縁辺ちかくの西辺から南西隅部にかけての範囲で遺存しています。西辺ではほぼ一直線に並び、南西コーナーは前方部隅の三角形状に曲がるのではなく、途中でほぼ直角に折りまげた形に並べ、台形形となった隅切り状になっていました。

検出した円筒埴輪は合計35個体分あり、底部から10〜15cm程度が残存した状態でした。それぞれの底径は30cm前後です。大部分は円筒埴輪とみられますが、コーナー付近で朝顔形埴輪の破片がみつかっています。

遺構図

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第1トレンチの写真 第1トレンチの写真 第1トレンチの写真 第1トレンチの写真 第1トレンチの写真 第1トレンチの写真 第1トレンチの写真

〔2トレンチ〕

第2トレンチの写真

前方部の盛土の状況を知るために1トレンチ北側に設定しました。西側斜面の裾付近は崩壊していましたが、地震の影響は軽微であったようです。墳丘は黒灰色や黄褐色の粘冥土を用いて幾度も水平面をつくりながら丁寧に積み上げて、非常に硬く締まっています。表面は均質な黄灰色土を用いて仕上げていました。


〔3トレンチ〕

前方部二段目の盛土状況と葺石の有無を確認するために、前方部正面にあたる西側斜面に設定しました。

葺石は、斜面裾付近で検出しましたが、大部分はすでに転落してしまい、調査した範囲では基底石とみられる石材を直線的に据えていました。一辺20〜50cmの川原石を用い、石材の長辺や広い面を前面に据えていました。

第3トレンチの写真 第3トレンチの写真 第3トレンチの写真

勾玉実測図(実大)
勾玉実測図(実大)

サイト管理者注:
モニター表示のため、実物大ではありません。

勾玉の写真

遺物としては、3トレンチの盛土中から出土したメノウ製勾玉が1点あります。

これは淡いオレンジ色のかかった半透明乳白色を呈し、全長3.3cm、幅1.1cm、厚さ0.9cmをはかります。紐を通すための円孔は片方からのみ穿たれており、孔の大きさは一方が4mm、他方の側が1mmと差が大きく、かろうじて貫通したような状態です。盛土中から単独で出土しており、どのような理由で盛土内に混入したのかは不明です。


3.調査でわかったこと

今回の調査では、前方部隅部の状況が初めて明らかになりました。前方部南西隅は、伏見地震によって崩落した墳丘のなかでは、昨年度に調査を行った後円部とともに、古墳の旧状を比較的良好にとどめている地点にあたります。前方部正面での二段目裾と埴輪列までの幅は約6mで、後円部で確認している3.5mよりも広いことから、前方部正面のテラス幅は意図的に広げられていたようです。テラス面の標高は後円部側が約27m、前方部側が29mでその差2mは現況地形の比高差とほぼ等しくなります。一方、復元濠水面高(標高23m)からテラスまでの高さは後円部が4m、前方部が6mとなり、前方部の高さを強調しているかのようです。

今回の調査では、今城塚古墳の基本データとなる前方郡での埴輪列や葺石、段築などの遺構をはじめて確認することができました。これは、築造当初の姿や古墳の復元を考えるうえでも重要な成果を得たといえ、今後の大王陵級の古墳を考察するうえでも、また古墳時代の研究にとっても重要な資料になります。