恵解山(いげのやま)古墳第6次調査

恵解山(いげのやま)古墳第6次調査
平成17年(2005年)10月22日(土)
長岡京市教育委員会
(財)長岡京市埋蔵文化財センター

調査名 恵解山古墳第6次調査、長岡京跡右京第856次調査(7ANQKK-6地区)
推定地 恵解山古墳、長岡京跡右京八条二坊二町、西一坊大路、八条条間小路、南栗ケ塚遺跡
調査主体 長岡京市教育委員会
調査機関 (財)長岡京市埋蔵文化財センター
調査期間 2005年9月20日〜10月下旬 調査面構 約140平方メートル

1 調査の目的

恵解山古墳は、古墳時代中期に築造された乙訓地域で最大の規模を誇る前方後円墳です。1981(昭和56)年10月に国の史跡として指定されて以来、用地の買収が徐々に進められ、20年余りを経た2002(平成14)年度に史跡指定域の公有化が完了しました。これに伴い、長岡京市では墳丘や周濠の形態、規模、構造などの基礎資料を得る目的で、2003(平成15)年より発掘調査を行っています。

2 過去の調査

恵解山古墳は、1968(昭和43)年に京都府教育委員会が墳丘の測量を行って以降、長岡京市教育委員会によって5回の発掘調査が行われています。

第1次調査
1975(昭和50)年。西側の周濠外提部分を対象に行われましたが、外提と見られる遺構は確認されませんでした。
第2次調査
1976(昭和51)〜1977(昭和52)年。後円部と前方部の古墳裾が対象で、裾部の葺石、周濠、外提が確認されました。この調査で現存する墳丘の東半部が大きく削られていることが明らかになりました。
第3次調査
1980(昭和55)年。前方部のほぼ中央で多量の鉄製武器を埋納した施設が確認され、全国的に大きな注目を受けました。また、後円部から前方部の上段斜面で良好な状態の茸石が確認されました。
第4次調査
2003(平成15)年。前方部の中央と南東部の古墳裾と周濠が対象となり、古墳裾では基底石が確認されました。また、外堀にも小石が葺かれていることが分かりました。
第5次調査
2004(平成16)年。埴輪列(第2段平坦面)西側の造り出し、前方部の南西隅を確認するなど、大きな成果が収められました。

図1 発掘調査地の位置

図1 発掘調査地の位置

図2 恵解山古墳の調査区と墳丘裾復元図(1/1000)

図2 恵解山古墳の調査区と墳丘裾復元図(1/1000)

※ 網掛けは葺石の範囲

図3 本調査第2調査区平面図(1/100)

図3 本調査第2調査区平面図(1/100

※ 網掛けは葺石の範囲

3 今回の調査成果(第6次調査)

地中探査

発掘調査の着手前に、奈良文化財研究所の協力を得て地中探査を行いました。その結果、西側造り出しや後円部の輸郭がおおよそ明らかになり、第1区の設定を始め、発掘調査全体を効率的に進めることができました。

調査区の設定

第1区は後円部の南西(第5次調査1トレンチの北)に設定しました。ここでは、造り出しの規模、くびれ部の位置、後円部裾の確認を目的としました。第2区は後円部裾の確認を目的として、後円部の北西部に設定しました。

調査成果

発掘調査の結果、とくに第1区で造り出しから前方部にかけての基底石を良好な状態で確認しました。第1区・第2区ともに、後円部の基底石は後世の削平のため失われていましたが、転落石や地山面の傾斜から、くびれ部、後円部径についても位置を推定することができ、恵解山古墳裾部の復元が可能になりました。

ポイント

1.墳丘裾部の復元

恵解山古墳の墳丘裾部を復元することが可能になりました。恵解山古墳は乙訓地域を含む山城盆地北半部で最大の規模を誇る前方後円墳であり、本地域における古墳のあり方を考える上で重要な成果と言えます。

<墳丘各部の規模> ※今後の発掘調査でさらに正確な数値に変わる可能性があります。
造り出し---南北長(主軸方向)=12m、東西幅(周濠への出)=9.7m
・くびれ部から7m前方部寄りに接続する・造り出し内側に右列
くびれ部幅---東西幅=約53m     後円部径---直径=約78m
前方部幅(第5次調査)−一東西幅=76m前後
前方部長---南北長約61m      全長---南北主軸=約128m
・後円部径と前方部幅が拮抗し、主軸方向の前方部長が比較的短い

2.形態的な特徴

後門部径と前方部幅が拮抗し、主軸方向の前方部長が比較的短いという墳丘の形態的な特徴は、墓山古墳(大阪府羽曳野市)、太田茶臼山古墳(大阪府茨木市)、コナベ古墳(奈良県奈良市)などとの類似性が認められ、他地域との政治・勢力関係や畿内地域全体の古墳の動向を検討する上でも意義深い成果と言えます。

3.築造

古墳築造に関わる情報を得ることができました。後円部西側では前方部の西側と異なり、基底石や盛土が確認されていません。このことから、後円部の西側では基底石の高さや置き方、葺石背後の構造などに、前方部とは異なる造作なされたと考えられます。

4.造り出しと前方部の接続

造り出しの北側接続部では、造り出しの内側(墳丘側)からも右列が確認されました。この部分からは、埴輪、土師器ミニチュア壷が出土しており、谷状の斜面が設けられた可能性が指摘できます。さらに、土師器ミニチュア壷の存在から何らかの祭祀が行われたことも推測されます。

5.出土遺物

第1区では整理箱にして11箱、第2区では2箱の遺物が出土しています。普通円筒埴輪、朝顔形埴輪のほか、家形・蓋形・盾形の形象埴輪、土師器ミニチュア壷、結晶片岩が出土していいます。形象埴輪では家形埴輪の出土量が比較的多く、その出土位置から迫り出し上に配置されていたと考えられます。また、家形埴輪では梁行、桁行ともに1間で、床を表現した類例の少ない個体が出土しています。祭祀用の土器(柑)を模した、土師器ミニチュア壷も類例の少ないものです。

古墳時代以降の遺物では、長岡京期・平安時代・中世の土器と時期不明の木製品が出土しています。このうち、木製品の出土は後円部北西の第2区に限られています。周濠に堆積した土から、後円部の北〜北西側は湿地状であったと考えれます。

図4 本調査第1区平面図(茸石・形象埴輪の分布)(1/100)

図4 本調査第1区平面図(茸石・形象埴輪の分布)(1/100)

※ 網掛けは葺石の範囲

図5 本調査第1区と第5次調査平面図(造り出しの復元)(1/200)

図5 本調査第1区と第5次調査平面図(造り出しの復元)(1/200)
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