平成18年(2006年)7月8日(土)
橿原考古学研究所
今回の調査は馬見丘陵公園整備に伴うもので、地下遺構の状況を確認するための試掘調査である。調査位置は一本松古墳(前方後円墳・全長約130m)の後円部南東側に隣接した場所にあたる。2006年5月10日に調査を開始し、現在継続中。
外堤と塙壕の一部を検出した。外堤は地山を削り(がいてい)出して造られ、上面幅は約7.5m。周壕側斜面は約40度の急勾配、外側斜面は10度未満と緩やかで、葺石(ふきいし)や埴輪樹立は無い。周壕の深さは外堤上面から1m下まで確認した。周壕は奈良時代に埋められている。外堤上面で埴輪棺墓(はにわかんぼ)1基と土壙墓(どこうぼ)1基を検出した。埴輪棺墓は棺に円筒埴輪を2個体使用し、小口部分を埴輪の破片で塞いだもので、埴輪の年代は古墳時代前期末〜中期初頭(4世紀中葉)。土坑墓、埴輪棺墓ともに副葬品(ふくそうひん)は無い。
一本松古墳後円部南東側の外堤に接する方形の古墳で、新規発見である。一本松古墳外堤と同時に築造され、填(ふん)丘(きゆう)規模は一辺12〜14m、主軸は東へ約30度傾く。盛土された墳丘は約1.5mの高さが残る。墳丘斜面の傾斜は約20度で、葺石は無い。周溝(しゅうこう)は幅4.5m、溝底レベルは標高約52.5mでほぼ一定。周溝は奈良時代に埋められており、円筒棺、草摺形(くさずりがた)埴輪、家形(いえがた)埴輪、船形(ふながた)埴輪、円筒埴輪などの破片も多量に出土した。墳丘に円筒棺を用いた埋葬施設の存在と、円筒埴輪や家形埴輪などが立っていた可能性が推定できる。埴輪の年代は前期末〜中期初頭。周溝底で円筒棺墓(えんとうかんぼ)1基、周構外側斜面で埴輪棺墓1基を検出した。円筒棺墓は墓壙(ぽこう)内に粘土を敷いた上に長さ160cm、直径50cmの円筒棺を横置し、頭側を土製蓋で、足側を粘土で塞いだもの。埴輪棺墓は棺に高さ50cm、直径25cmの3条突帯円筒埴輪を2個体繋いで使用したもので、墓壙の上から周溝に向けて突出する約2m四方の低い盛土を確認した。埴輪の年代は中期前葉(4世紀後葉)。
今回の調査により、不明であった一本松古墳とその周辺の状況が明らかとなった。今後、馬見古墳群を考える上での貴重な資料と考える。