平成19年(2007年)9月1日(土)
独立行政法人国立文化財機構
奈良文化財研究所都城発掘調査部
※このページの写真、文、図は、すべて当日配布の現説資料からの転載です。
平城宮の東には、南北750m東西250mの張り出し部があり、その南半部(南北350m)を東院地区と呼んでいます。東院地区には、皇太子の居所である東宮、天平勝宝6年(754)以降の史料にみえる「東院」、宝亀3年(772)以降の史料にみえる「楊梅宮」などの重要な施設が存在したと考えられています。
東院地区の発掘調査は、1960年代初めの国道24号線奈良バイパスの建設計画にともないはじまります。初期の調査は、方八町(約1m四方)と推定されていた平城宮の東辺を確認するためにおこなわれたものでした。ところが、東一坊大路の推定路面部分から井戸や建物などが検出されたことにより、平城宮=方八町説に疑問がもたれはじめ(第22次調査、1964年)、その後の調査で推定東面南門が東一坊大路をふさぐ形で南側に開いていることが明らかになり、平城宮がさらに東に拡がることが確定しました(第39次調査、1966年)。次いで、東院地区の東を限る大垣が検出され、東院の範囲、すなわち平城宮の東の限りが確定しました(第44次調査、1967〜68年)。この調査で検出された東南隅の隅楼と庭園の苑池遺構は、発掘調査成果に基づき、現在復原整備して一般公開されています。また、東院地区西辺の調査も、断続的に実施しており、本調査区の西では、大型の総柱建物や塀などの区画施設などがみつかっています(第292次調査、1998年。第381次調査、2005年)。
都城発掘調査部(平城地区)では、2006年度からの5ケ年計画で、東院地区の継続的な調査をおこなっています。今年度の調査はその2年度目にあたるもので、今回は、昨年の第401次調査区に東接する場所に調査区を設けました。この場所に調査区を設定した理由は、次の2つの理由によります。1つは、地形的に高い位置にあり重要な施設の存在が推定されること、もう1つは、昨年までの調査成果により、東院南門(建部門)の南北方向の中軸線上に、東院の中枢部分が展開すると推測されること。以上です。
調査は、2007年4月から開始し、現荏も継続中です。
図1 平城第421次調査地点
図2 平城第421次調査遺構図
建物9棟(掘立柱建物8棟、礎石建物1棟)、塀7条、溝4条、などを検出しました(いずれも第401次調査で検出した遺構と一連の遺構を含みます)。検出した建物は、概して大規模で、かつ大型の柱据形をともなうものが多いという特徴をもちます。
今後の調査の進展により理解が変わることもありますが、現段階での知見は以下の通りです。
遺構の変遷は、古い時期から、1期・2期・3期……として大きく5つの時期に区分できます。また、調査区の西半部には整地土が残存しています。整地土は、西半部に広く残る整地土(以下、整地土A)と、西端にごく一部残る整地土Aよりも新しい段階の整地土(以下、整地土B)が確認できます。整地土Aは1期の遺構に、整地土Bは3期の遺構にともないます。検出した遺構の時期は、1期・2期が奈良時代前半、3斯から5期までが奈良時代後半にあたると考えられます。
建物01 | 桁行4間以上×梁行2間の南北棟建物。柱間寸法は10尺等間(第401次調査の再検出)。 |
塀02 | 南北塀。8間分検出。柱間寸法は10尺等間。調査区外北側に延びます。 |
塀03 | 東西塀。2間分検出。柱間寸法は10尺等間。第292次調査で検出したSA17801と柱筋をそろえます。 |
塀04 | 東西塀。3間分検出。柱間寸法は10尺等間。第292次調査で検出したSA17803と柱筋をそろえます。 |
塀05 | 東西塀。4間分検出。柱間寸法は10尺等間。 |
塀06 | 南北塀。10間分検出。柱間寸法は10尺等間。調査区外南北にさらに続きます。 |
建物07 | 桁行9間×梁行4間の東西棟建物。四面庇をもつ。柱間寸法は10尺等間。 |
建物08 | 桁行11間以上×梁行2間の南北棟建物。柱間寸法は10尺等間。掘形が浅く、根石が残るものもあることから、礎石建物の可能性があります。 |
建物09 | 桁行3間×染行3間の絵柱建物。 柱間寸法は10尺等間。 |
建物10 | 桁行15間以上×梁行2間の南北棟建物。柱間寸法は10尺等間。第401次調査で検出したもので、今回の調香で東柱列南端部の柱穴2基を新たに確認しました。 |
建物11 | 南北方向に桁行10間以上×梁行1間、東西方向に桁行9間以上×梁行1間の単廊形式の回廊。柱間寸法は10尺等間。南北方向は401次調査で検出しました。 |
建物12 | 桁行3間×梁行2間の東西棟建物。建物11(回廊)がとりつく建物。 |
石組溝13 | 建物11北側の雨落溝か。底石の一部が、東西14m以上の範囲に点在して残っています。 |
石組溝14 | 調査区の北端で検出した溝の底石(第401次調査の再検出)。 |
性格不明遺構 | 調査区南端で、東西12.5m×南北6m分検出しました。さらに調査区外の南へ続きます。西端部ではほぼ垂直に、現存で深さ約50cm掘り込みますが、東ではだんだん浅くなり、現状では西端のような垂直に近い掘り込みは認められません。 |
滞15 | 性格不明遺構の北端に沿って掘られた溝。溝埋土に破片ないし粉状の凝灰岩片が多く含まれています。加工痕跡のある凝灰岩片や軒丸瓦(6313A)が出土しました。 |
建物16 | 桁行9間×梁行3間の東西棟建物。北側に庇をもつ。柱間寸法は10尺等間。柱穴の抜取穴から、軒丸瓦(6151A)が出土しました。 |
塀17 | 東西塀。3間分検出しました。柱間寸法は10尺等間。 |
溝18 | 南北4.5m分を検出し、さらに南北へ続きます。整地土Aに覆われていることから、1期以前にさかのぼる溝と考えられます。 |
塀19 | 東西塀。5間分検出しました。柱間寸法は10尺等間。 |
建物20 | 桁行3間×梁行2間の南北棟建物。柱間寸法は7尺等間。小規模な建物で、奈良時代以降のものと推測されます。 |
およそ東院地区西半の南北中軸線にあたる場所に、中心となる東西棟建物(SB17840;第292次調査・第401次調査で検出。以下同様)が建てられ、その東西に南北棟建物(SB17804;第292次調査、SB18895;第401次調査=本次調査建物01)が配置されています。また今回の調査では、西限の南北塀(SA17802;第292次調査)に対応する東の区画施設の存在が推定されていましたが、推定位置よりやや東で南北塀(塀02)を検出しました。
1期の塀02が取り払われて区画は東に拡がり、東院地区の少なくとも南半を大きく利用しているようです。建物の柱筋は、北で東に振れます。四面庇をもつ9間×4間の東西棟建物(建物07)と桁行11間以上×梁行2間の南北棟建物(建物08)を検出しましたが、建物07と同規模の東西棟建物(SB17805;第401次調査)が南西方向にあり、この時期の遺構はさらに細分できるようです。
東院を大きく東西に区画する南北塀(SA18915;第401次調査)が設定されます。その東側に、建物10(SB18916;第401次調査)が建てられます。東側の区画はさらに北東の方向へ拡がると推測されます。
南北塀(SA17825;第292次調査・第401次調査)が3期の南北塀(SA18915;第401次調査)のやや西に設定され、その東側に、建物12と回廊(建物11)に区画される東院の内郭が形成されます。同時期に属する建物は今回の調査区ではみつかっていませんが、その中心施設は、3期と同じく北東方向の未調査区に推測できます。
東西棟の建物16が建てられます。この建物は、東院南門(建部門)から北へ約500尺(約150m)の南北中軸線上にあり、計画的に配置されています。この時期に属する遺構は、南北棟建物(SB18935・SB18936;第401次調査)のほか、建物16前面の東西塀17があります。区画の西の限りは、4期の南北塀(SA17825;第292次調査・第401次調査)が存続したと推測されます。この時期の中心建物群は、3期・4期と同様に調査区の北方、あるいは東方に展開すると推測されますが、その詳細は今後の調査成果に俟ちたいと思います。
なお、本調査は9月申に終了する予定ですが、都城発掘調査部(平城地区)では、ひきつづき東院地区の継続的な調査を計画しており、10月には今回の調査区の北西に新たな調査区を設定する予定です。