巣山古墳 現地説明会資料

特別史跡巣山古墳第9次調査現地説明会資料
広陵町教育委員会

はじめに

巣山古墳は広陵町大字三吉に所在する古墳時代中期初頭の大型前方後円墳で、新木山古墳(陵墓参考地)とともに馬見丘陵の中央部に集中する古墳群の中核をなしている。

周濠部分が農業用溜池として利用されているため、水位変動や波により墳丘と外堤の裾が大きく削り取られていた。このため、平成12年度から保存修理と発掘調査を継続して行っている。第1次調査では当初の墳丘規模が全長約220mであることが判明した。第2次調査では前方部北西隅から木製鋤、周濠北西隅から鞍形木製品が出土した。第3・4次調査は周濠泥土の浚渫工事中に発見された出島遺構の調査を行った。第5次調査は周濠北東隅から準構造船の舷側板や波切り板が出土した。第6次調査は前方部前面、第7次調査では前方部西側と周濠北東隅を調査した。第8次調査は周濠北東隅から外堤の中央付近まで調査を行い、第9次調査では引き続き周濠北西隅まで行った。

遺構の概要

外堤裾を確認するため幅5.0m、長さ90.0mで調査トレンチを設定し、幅約2mの外堤葺石を検出した。トレンチの東端付近は輝石安山岩の板石を多用し、貼り付けるように配置する。その西側では石材が急に変更される。丸みを帯びた長径30cm前後の含石榴石黒雲母安山岩を標高47.50m付近に基底石として配し、長径20cm前後の石材を小口積みにして縦目地を設ける。

外堤葺石には基底石のある葺石面と無い部分があり、基底石のある葺石面には縦目地を確認している。縦目地の幅は160cmの中区画、80cmの小区画があり、縦目地を境に石材の大きさが変わる。

基底石の上から6・7石程で縦目地を通し、最上段の目地石は二段目の横目地に接続させている。二段日の横目地は一段目の葺石を葺いた上に粘性の強い黒色粘土を裏込めとして積み上げ、二段目の葺石には輝石安山岩が多用される傾向がある。基底石の間や周濠底に樹根が残っており、築造当初の周濠水位は低いことが検証された。葺右裾からは鋤、掘棒、寵、板が出土している。

転落した葺石に混じって出土する遺物は奈良・平安時代の土師器・須恵器片が多数を占める。この時期に葺石を崩して幅約60cmの突堤や幅約90cmの取水溝、直径約l.5mの土壌を作っており、当該期の木製品として顔が描かれた人形、卒塔婆が出土している

まとめ

外堤葺石の一部には基底石・縦目地が認められるものの、積み方は墳丘に比べ雑で、葺石の基底ラインも波を打っていた。転落している葺石畳は墳丘の5割程度であることから、外壕斜面全体に葺石を施すのではなく、斜面の中程で止めていた可能性が高い。

葺石材は二上山西麓から運ばれたことが判っているが、葺石面の石材が縦目地を境に異なることから採取した石材をどこかに集積することなく、運びこまれた石材を順に葺いて行ったものと思われる。

巣山古墳の周濠に水が溜まり始めるのは、奈良時代から平安時代で、北側に広がる寺戸遺跡の最盛期に周濠を潅漑用ため池に造り変えていく様子を確認できた。人形は身の穢れを祓ったり、病気の治癒を祈って自分自身の形代として作られるもので、井戸や溝など水に係わる遺構から出土することから、この時期に周濠に水が溜められるようになっていったと考えられる。

巣山古墳調査位置図

サイト管理者注:今回公開された葺石は、前方部右下です。(0901T、0203Tのあたり)

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