私部南遺跡(その3)

(財)大阪府文化財センター

説明文

私部南遺跡は、交野市私部南・向井田にあります。第二京阪道路の建設に先立ち、2004年より、大阪府文化財センターが発掘調査をしています。

私部南遺跡でこれまでに出土した最も古いものは、縄紋土器です。小さな破片なのですがこれは、今から約4000年前に、人々がこの周辺で活動していたというあかしです。

私部南に人々が暮らし始めるのは、今から約2500年前の弥生時代前期です。これまでの調査で、住居としていたと思われる竪穴(たてあな)建物や、溝などがみつかっています。ただし、建物の数は少なく、たくさんの人が住んでいたわけではなさそうです。

古墳時代(今から約1600年前)になると私部南にムラができました。竪穴建物や掘立柱(ほったてばしら)建物、井戸、溝などがいくつもみつかっています。竪穴建物には、内部に、ご飯を炊くためのかまとが設置されているものもあります。また、土器や鉄製品、木製品などの道具類も出土しています。

ムラは、飛鳥時代・奈良時代(今から1200〜1400年前)ごろまで続いたようです。この時代の掘立柱建物などもみつかっています。

その後、鎌倉時代(今から700〜800年前)になると、周辺一帯が開拓されていきます。地形の高低差を克服し、田んぼがつ<られました。遺跡の一部では、同じ時代の掘立柱建物や井戸などがみつかっており、ムラも営まれていたようです。これは、今も私部南遺跡周辺でみられる、田んぼと集落からなる景観のルーツといえるものです。

今回は、古墳時代の竪穴建物、中近世以降の大溝などをみていただきます。竪穴建物の内部では、かまどのあとがみつかっています。鉱(こう)さいとよばれる、鉄かすも出土し、周辺で鉄製品をきたえる作業をしていたことがわかりました。また、幅約6.5メートル、深さ約2.4メートルの大溝は、中世後半以降に、この周辺で大規模な開発が行われたことを物語っています。

私部南遺跡(今回の調査地)
地図

遺構図

遺構図とモノクロ写真

古墳時代の道具たち

土師器(はじき)高杯(たかつき)
さかさまの状態で出土しました

須恵器(すえき)壷(つぼ)
把手(とって)がついています

木製品 椅子の脚

須恵器 甕(かめ)
いろいろなサイズのものがありますが、これは特大です

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