教王護国寺(東寺)旧境内

(財)京都市埋蔵文化財研究所

説明文

所在地京都市南区大宮通八条下る九条町399-35
調査期間2009年5月25日~2009年7月4日(継続中)
調査面積約330m2
調査機関(財)京都市埋蔵文化財研究所 http://www.kyoto-arc.or.jp/

はじめに

調査地は、西は櫛笥小路、南は針小路に面した、平安京左京九条一坊十六町にあたります。この十六町には、東寺の経営にかかわる政所院や賤院という、事務管理を行う施設が置かれていたものと考えられています。中世には調査地を含む東寺北側には、大小多くの子院が建てられはじめます。江戸時代の寛永十四年の東寺境内の絵図には、調査地は金剛珠院という名称の子院が図示され、地割りや建物配置などが詳細に記載されています。子院の状況については、2001年度に実施した洛南高校の校舎建て替えに伴う調査において、室町時代から江戸時代の子院の変遷や区画の一部を明らかにしています。今回の調査も、その成果を踏まえ、中世から近世の子院の状況を確認し、さらに伽藍北側での平安時代の実態を明らかにすることを目的に調査を実施しています。

発掘調査であきらかになったこと

江戸時代

現地表下の深さ0.3m~0.4mの面で調査区北側において、礎石及び根石群を発見しました。江戸時代後期から幕末期の東西棟の建物で、規模は東西約13m、南北は3m以上で、さらに北に延びています。また、建物から5m南には布掘状の塀ないしは柵とみられる遺構が残っていることもわかりました。この建物は、絵図に示された金剛珠院との関連が考えられます。

平安時代後期~室町時代

続いて江戸時代の厚い整地層を堀下げた面で、平安時代後期から室町時代の遺構を現在調査しています。調査区東端では、室町時代の南北方向に掘られた幅約4m、深さ0.7mの堀状遺構1を南北22mにわたり検出しました。堀状遺構の西側では、溝や柱穴が数多くみられます。溝には、北から東西方向に溝2~4がありますが、溝3は幅3m、深さ0.5mの平安時代後期のものであることがわかりました。溝2と溝4との間は19mあります。その間には柱穴が多数あり、建物としてまとまるか検討中です。また、堀状遺構1内の南側の底には、平安時代の一辺が0.8mの方形木枠井戸5の基底部が、残っていることも判明しました。

出土した遺物は、平安時代から江戸時代の土器類が中心ですが、瓦類も多く、建物の軒先を飾る軒平・軒丸瓦も時代ごとにみられ、とくに平安時代の瓦類のなかには、緑の釉薬をかけた緑釉軒丸・軒平・丸・熨斗瓦が出土しており注目されます。

まとめ

江戸時代後期の建物は、江戸時代中期の絵図に示された金剛珠院との関連が考えられます。室町時代の堀状遺構、溝、柱穴群は、溝によって区画された建物が想定される子院の存在を示す遺構として重要です。また、平安時代後期の東西溝、井戸、柱穴群は、平安時代の政所院にかかわる遺構とみられます。

図1 東寺 寺地図

図2 東寺 子院古図

図3 遺構配置図

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