独立行政法人国立文化財機構 奈良文化財研究所都城発掘調査部
2010年4月17日
平城宮には3つの中枢部があります。ひとつは第一次大極殿院・朝堂院のある中央区、もうひとつは内裏・第二次太極殿から朝堂院と朝集殿院にいたる東区、そして3つめは東院地区です(図1)。今回調査した東方官衙地区は、この東区と東院地区間にある南北に細長い地区で、役所(官衙)が配置されていたと考えられています。
平城宮内の官衙については、これまで宮西辺の馬寮、中央区北方の推定大膳職、東区北方にある推定内膳司を含む内裏北外郭官衙、推定宮内省を含む内裏東外郭官衙、その東方のせん積基盤建物官衙、造酒司、および東区南方の奈良時代後半の兵部省、式部省、そして東方の奈良時代前半の式部省と後半の神祗武官などが発掘調査で明らかになっています。
図1 奈良時代後半の平城宮と東方官衙地区の調査区
一方東方官衙地区南半、北東官衙地区、西方官衙地区の様相は未解明でした。このなかでも、東方官衙地区は平安宮との対比からみて、太政官、中務省、民部省など国の中枢を支える重要な役所の所在が想定される場所です。そこで、2006年度からここに広がる官衙区画の概要を把握するため、6m幅の調査区を東西、南北に設定する方法で調査を実施しています。
2006年度(平城第406次)と2007年度(平城第429次)の調査では、東方官衙地区の中央を南北に流れる基幹排水路(SD2700)を挟んで東西に並ぶ官衙区画を確認しています。2006年度の調査では東区画内で東西51m、南北120m以上の範囲が築地塀で区画されていたことを確認し、その中に大規模な基壇をもつ礎石建物を確認しました。2007年度の調査では西区画内で東西に並ぶ倉庫とみられる総柱礎石建物を、東区画内には掘立柱建物と、有機質遺物を多量に含む大型の土坑を確認しました。また南端で築地塀の北雨落溝とみられる溝を検出しました。
2008年度(平城第440次)にこの有機質遺物を多量に含む土坑の全貌を調査したところ、建物建て替えに伴うごみの焼却土坑と分かり、衛府に関わる木簡群や多数の木製品を検出しました。また糞便の廃棄土坑も検出しました。
今回の調査では南端19m分は1965年度の調査区(平城第29次)と重複させて南北111mの調査区を設定しました。官衙区画と区画内の建物配置、基幹排水路の行方の解明を目的としています。2010年1月19日から開始し現在も継続中です。
発掘調査の結果、今回調査区では基幹排水路は検出されませんでした。レーダーによる地下探査の成果と合わせると、東方官衙の中央を流れる基幹排水路は、このブロックを貫いて南流すると考えられます。そのため、今回の調査区は基幹排水路の東側の区画に相当する範囲になります。東西方向の築地塀4条、礎石建物3棟、道路1条、を検出し、その南では東西溝4条と掘立柱塀5条、掘立柱東西棟建物2棟を確認しました。
多数の瓦、土器、鉄製品、木簡、木製品(円板形木製品、籌木)、ウマの歯などが出土しています。なかでも鬼瓦と石突状鉄製品は注目されます。
発掘調査を行う前に、レーダーによる地下探査を行いました。その結果、今回調査区を含む周辺の官衙区画と区画内の建物配置についての手がかりを得ることが出来ました。また東方基幹排水路SD2700は今回調査区内で東流せずさらに南流することも推定されました。
基壇を伴う東西棟の礎石建物が、築地塀を挟んで1棟ずつ建ち並んでいる様子を確認しました。礎石建物の構造は3棟それぞれが異なった様相を呈しています。
このように基壇を伴う礎石建物ごとに築地塀で細かく区分されている区画の様子は、これまでの平城宮の調査ではあまり例をみません。役所の建物配置としても異例で、どの役所の如何なる性格の区域か明確ではありませんが、類似の配置をもつ役所としては、奈良時代後半の式部省と兵部省の北半が挙げられます。式部省・兵部省では築地塀で仕切られた区画に礎石建物が1棟ずつ配置されており、執務場所とみられています。今回の役所では、それが連続して3列設けられ、しかもそれぞれの建物の構造が異なるという極めて珍しいものです。官人の執務空間であるとしても、それぞれが異なる役所の施設なのか等、課題が多く残されています。
平城429次調査区の南端で想定された築地塀と今回調査区の北端で検出した築地塀1の間の中軸線は、東区朝堂院東門の中軸線と一致します。このため南築地間は東区朝堂院東門に至る幅約12m(40小尺ないし35大尺)の東西方向の宮内道路を想定できます。間に未調査区を残していますが、これは東方官衙地区が東区朝堂院と一体の配置計画に基づいていることを示すと考えられます。東方官衙地区の東区朝堂院との直接の関連性が判明したのは今回調査が初めてです。
また、礎石建物が3棟建ち並ぶ官衙区画は、北限が上に想定した宮内道路に、南限が道路1により区画されていたことが明らかになりました。区画の南北幅は約57m(190小尺ないし160大尺)です。ひとつの官衙区画を確定し得た点も重要な成果です。
その南では東西方向の溝と掘立柱塀を挟んで、掘立柱建物が配置されており、異なる官衙区画と考えられます。このように少なくとも2つの異なる官衙区画を確認することができました。
レーダーによる地下探査の成果によると、基幹排水路SD2700から東の区画には、東西棟礎石建物が東西に2棟ずつ、南北方向に3列にわたって合計6棟並ぶとみられます。今回はその東の列の建物と築地塀を、調査したことになります。このようにレーダーによる地下探査によって未発掘区を含めた官衙区画の全体像を把握することができました。これは平城宮内では初めての成果です。
礎石建物が狭い間隔で築地塀を挟んで建ち並ぶという極めて珍しい建物配置を明らかにし、レーダーによる地下探査と併せて、ひとつの官衙区画の全件像を把握することができました。また官衙区画の配置は東区朝堂院と強く関連する配置計画であったことも分かりました。今後、東方官衙地区の周辺を調査する上で貴重な手掛かりを得ることができたといえます。
図2 平城宮兵部省の建物配置と後殿の基壇化粧
図3 東方官衙地区の調査区
図4 平城第466次調査の検出遺構図
※サイト管理者 注:今回の遺構は南北に縦長です。上記図面は左が北、右が南となります。
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