長岡京跡・松田遺跡

(財)京都府埋蔵文化財調査研究センター

説明文/図1/図2

1.はじめに

今回の調査は、京都第二外環状道路建設に先立って実施しました。調査地は、乙訓郡大山崎町字円明寺小字松田に所在し、長岡京跡の南端部および松田遺跡にあたります。松田遺跡は、小泉川によって形成された扇状地に広がる、縄文時代から中世にかけての集落跡です。

今までの調査では、右京第933次調査(第2図)において、古墳時代後期の竪穴式住居跡群と中世の遺構が確認されました。また右京第971・974次調査では、古墳時代後期の竪穴式住居跡が3基見つかっています。このことから今回の調査地には、古墳時代と中世の2時期の遺構が存在すると考えられました。

第1図 調査地位置図(国土地理院1/25,000 京都西南部・淀)
第1図

今回の調査成果

調査の結果、Aトレンチ(北側)では、小泉川の旧流路を検出しました。

Bトレンチ(南側)では、旧河道に伴う堆積土の上層に安定した面が認められ、掘立柱(ほったてばしら)建物跡(たてものあと)3棟のほか、柵列・井戸・土坑などを検出しました。また各遺構からは土師器(はじき)皿・瓦器椀(がきわん)・白磁(はくじ)などが出土しました。

(1)検出遺構

第2図 調査地ならぴにトレンチ周辺主要遺構配置図
第2図

掘立柱建物跡3棟・柵列(さくれつ)1条・井戸2基・土坑3基・配石遺構(はいせきいこう)1基などを検出しました。

掘立柱建物跡SB01
南北2間(4m)×東西1間(1.8m)以上の掘立柱建物跡です。柱穴(ちゅうけつ)2か所には根石(ねいし)が存在します。
掘立柱建物跡SB02
南北3間(7m)×東西2間(5m)を測る総柱(そうばしら)の掘立柱建物跡です。
掘立柱建物跡SB03
今回検出した掘立柱建物跡の中では規模が大きく、南北3間(5.5m)×東西5間(10.4m)の東西棟の掘立柱建物跡です。柱穴内には柱を支える根石が一部存在します。
柵列SA35
柱穴9か所からなる、検出長19m以上の柵で、柱間は2.1〜2.7mとやや不揃いです。柱穴内から土師器片が出土しました。
井戸SE10
石組みの井戸で、掘形の直径2.7m、石組みの内径0.8mを測ります。埋土中からは、土師器皿や瓦器椀などが出土しました。
井戸SE38
素掘りの井戸で、直径1.5mです。埋土中からは、土師器皿や瓦器椀などがわずかに出土しました。
土坑SK04・63
円形や楕円形の平面形をします。土師器皿や瓦器椀が多量に出土しました。これらの土器類は、表や裏向けに重ねた状態で出土しました。埋納したようです。
配石遺構SK45
方形に石を立てて配し、床面には平坦に石を敷いていました。いくつかの石には火を受けた痕跡があり、石の隙間には炭が詰まっていました。遺構内から数点の土師器皿が出土しましたが、土器は火を受けていませんでした。火を消した後に土器を投棄したようです。
溝SD70
南北方向の溝です。幅1.2〜2.0m、深さ0.2mを測ります。埋土中から土師器皿・瓦器椀・白磁などが出土しました。
柱穴群
数多くの柱穴が見つかりました。径0.2〜0.6mを測ります。柱穴掘形内からは、土器が表や裏向けに重ねた状態で出土するものもありました。また柱抜き取り穴から複数の土器が出土するものもありました。これらは、埋納したようです。

(2)出土遺物

今回の調査で多量の土師器皿瓦器椀青磁(せいじ)や白磁、銅製品が出土しました。これらの遺物の時期は、13世紀〜14世紀代です。なお白磁梢合子蓋(ごうすふた)は13世紀代の土器類とともに溝SD70から出土しましたが、12世紀代に中国で生産されたもので伝世品と考えられます。また、包含層から、銅製の水滴(すいてき)が出土しました。

まとめ

調査地付近は、今回検出した遺構から、13〜14世紀の集落の一部であったと考えられます。遺物の中に中国製の青磁や白磁など、当時としては貴重な器もあり、有力者の屋敷地であった可能性が高いと考えられます。また、甕などの貯蔵容器が出土していない点も、この調査地の特徴です。

図3 遺構配置図

図3

  • A 建物出土状況(土師器皿・瓦器椀)
    モノクロ写真
  • B 建物出土状況(白磁梢合子蓋)
    モノクロ写真
  • C 建物出土状況(土師器皿・瓦器椀)
    モノクロ写真
  • 掘立柱建物跡SB01
    モノクロ写真
  • 配石遺構SK45
    モノクロ写真
  • 井戸SE10
    モノクロ写真
  • 土坑SK04(上層遺物)
    モノクロ写真
  • 土坑SK04(下層遺物)モノクロ写真

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