牽牛子塚(けんごしづか)古墳

明日香村教育委員会

説明文

1.はじめに

牽牛子塚古墳は「真弓崗・越智崗」と呼ばれる一角に所在する終末期古墳です。周辺には岩屋山古墳をはじめ真弓鑵子塚古墳やマルコ山古墳、カヅマヤマ古墳など多くの後・終末期古墳が点在しています。牽牛子塚古墳については北浦定政の「松のおちば」(1856)の中で「越村ニケンゴウシと申亦朝顔と申由」と記されており、江戸時代には「ケンゴウシ」と呼ばれていたことがわかります。大正元年には佐藤小吉によって調査が行われ、更に大正3年には阪合村役場が保存工事を行っています。この際、七宝飾金具をはじめ玉類・夾紵棺・人骨などが出土しています。昭和52年には環境整備事業に伴って石榔前面が調査され、コロレールや版築土が確認されています。今回の調査は牽牛子塚古墳の構造解明に向けた範囲確認調査を平成21年度より実施しています。

2.検出遺構と出土遺物

【墳丘と外部施設】

墳丘は越峠から東西に続く丘陵から更に舌状にのびた丘陵上に位置しています。墳丘は版築で築かれた対辺約22m、高さ4.5m以上を測る八角形墳です。墳丘基底部は花崗岩風化土の地山面を八角形に削り出し、裾部には二上山の凝灰岩切石を敷き詰めた犬走り状の石敷があります。この石敷の更に外側には川原石を敷き詰めた二重のバラス敷があり、仕切り石を境にして外側は一段低くなっています。凝灰岩石敷と墳丘背後の花崗岩風化土の地山面の間には花崗岩の抜き取り痕があることから、地山面の法面処理に花崗岩が使用されていたものと考えられます。

【埋葬施設】

埋葬施設は二上山の凝灰岩を使用した南に開口する刳り貫き式横口式石櫛です。石榔内の中央には間仕切りがあり、それを境に二つの埋葬施設があります。床面には長さ約1.9m、幅約80cm、高さ約10cmの二つの棺台が設けられており、天井部はドーム状を呈しています。開口部には凝灰岩の閉塞石(内扉)と更に外側には石英安山岩の閉塞石(外扉)があり、二重の閉塞を行っています。この外扉の閉塞石と前面を揃えるように左石に二段に積まれた石英安山岩の切石があり、石榔を構成する凝灰岩の周囲を直方体の切石が取り囲んでいます。この石材は高さを調節するために、一石から数石の切石を積み重ねて構成されています。また石榔の凝灰岩と石英安山岩の切石が接する箇所には漆喰が充填されています。

【出土遺物】

夾紵棺・黒色土器・瓦器・羽釜・凝灰岩など少量出土しています。

3.まとめ

今回の調査では牽牛子塚古墳が八角形墳であることが明らかとなりました。以下、今回の調査成果をまとめると、牽牛子塚古墳は舌状にのびた丘陵上に版築で築かれた対辺約22mの八角形填で、二重のバラス敷きの範囲を含めると32m以上の規模を測ります。

墳丘裾部には二上山の凝灰岩切石やバラスを敷き詰め、墳丘部も凝灰岩で表面を装飾していたものと考えられます。

埋葬施設については、石槨を構成する凝灰岩の周囲を石英安山岩の直方体の切石を数石積み上げており、石槨凝灰岩と石英安山石の接する箇所には漆喰が充填されています。

築造年代については石槨橋造などから7世紀後半頃と考えられます。

このように、今回の成果は牽牛子塚古墳を解明する上で多くのデータを提供しており、今後飛鳥地域の終末期古墳を考える上で重要な資料となるでしょう。

調査位置図

  • 調査位置図
  • 地図

写真

  • 墳丘
  • 石槨
  • 石槨を囲う切石
  • バラス敷
  • 凝灰岩石敷コーナー部分
  • 調査区全景

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