越塚御門(こしつかごもん)古墳

明日香村教育委員会

説明文

1.はじめに

越塚御門古墳は、明日香村大字越小字塚御門194番地に所在する終末期古墳です。古墳のある周囲は「真弓崗・越智崗」と呼ばれる地域で岩屋山古墳やマルコ山古墳など飛鳥を代表する後・終末期古墳が点在しています。今回の越塚御門古墳はこれまで文献資料等でも紹介されたことはなく、新規に検出された古墳です。

2.検出遺構と出土遺物

【墳丘と外部施設】

墳丘は、地表面には痕跡が残っておらず現時点では墳形や規模は不明です。しかし、埋葬施設の周囲の状況から墳丘は版築で築かれていたことがわかります。

【埋葬施設】

埋葬施設は貝吹山周辺で採れる石英閃緑岩を使用した南に開口する刳り貫き式横口式石槨です。埋葬施設は天井部と床石の二石からなる構造となっています。規模は内法長約2.4m、幅約90cm、高さ約60cmを測ります。床面には幅約2cmの溝をコの字形に設けています。天井部の大半は石取り等で失われており不明ですが、奥壁付近が残存しており、ドーム状を呈していたことがわかります。側石の底と床石の接する箇所には窪みがあり、石材を接合する際のほぞ穴と考えられます。石槨の前面部には長さ4m以上、幅約1mの墓道が設けられています。墓道は人頭大の川原石を側石として数石積み上げ、その間をバラスで敷き詰めています。

【出土遺物】

漆膜片、鉄製品などが少量出土していますが、他に古墳に関わる遺物はありません。

3.まとめ

今回の調査では牽牛子塚古墳の南東部から新たに終末期古墳を確認することができました。以下、調査成果をまとめると、①墳丘は版築で築かれていますが、墳形・規模は不明です。 埋葬施設については天井部と床石からなる組合せの刳り貫き式横口式石槨です。形状は鬼ノ爼・雪隠(明日香村大字平田・野口)と同様の構造となっています。床面にはコの字形に溝を設け排水機能をもたせるとともに棺台としての範囲を明示していると考えられます。②棺については石槨内から漆膜片が出土していることから漆塗木棺が埋葬されていたと考えられます。③築造年代については7世紀後半頃と考えられます。

このように、今回の成果は越塚御門古墳と隣接する牽牛子塚古墳を解明する上で貴重なデータを提供しており、今後飛鳥地域の終末期古墳を考える上で重要な資料となるでしょう。

南からの写真:礫敷と石室

東からの写真:礫敷と石室

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