名勝飛鳥京跡苑地 現地説明会資料

2011(平成23)年12月3日(土)
奈良県立橿原考古学研究所

はじめに

史跡・名勝飛鳥京跡苑地(しせき めいしょうあすかきょうあとえんち)は、奈良県高市郡明日香村岡に所在する飛鳥時代の庭園遺跡です。1999年の第1次調査によってその存在が初めて確認されました。これまで5回にわたる調査をおこない、以下のことが明らかになりました。

  1. 苑地には渡堤(わたりづつみ)で仕切られた南北2つの池(南池・北池)がある。北池からは水路が北に向かってのび、その先端は西へ折れ曲がる。
  2. 南池の規模は、南北約55m、東西約60m、深さ約1m。池の底は石が平らに敷きつめられ、池の中に島や石積み遺構、石造物(せきぞうぷつ)が設置されていた。
  3. 北池の規模は、南北46〜54m、東西33〜36m、深さ約3m。北東隅部には階段状の施設があり、池の底には石が平らに敷きつめられている。
  4. 苑地の東側(宮殿側)には砂利敷(じゃりじき)の広場がある。
  5. 水路から苑地の機能や性格を示す木簡が出土した。

2010年度より、史跡・名勝飛鳥京跡苑地の保存整備活用事業が実施され、今年度はその2年目にあたります。今回の発掘調査では、これまで明確でなかった南池の東岸とその周囲の構造を確認しました。

調査の内容

東岸には、1〜1.5m大の非常に大きな石が3段以上積まれていることが判明しました。地底からの高さは約2.5mをはかります。東岸の前面には護岸(ごがん)からの転落石(てんらくせき)とみられる50〜70cm大の石が多数確認されました。この転落石は本来、東岸の上部に載っていたものと考えられます。

今回の調査区の東側、最も高い部分では飛鳥時代以前の古墳時代の堆積層しか確認されませんでした。つまり、飛鳥時代の遺構面はさらに高い位置にあったと考えられます。このことから、つくられた当初の東岸の高さは3m以上になります。

南岸の東半部も同様に、下半に1〜1.5m大、上半に50〜70cm大の石が使われていました。石は約7段積まれており、その高さは約3mになります。

第1次調査で確認された南池西岸は、約50cm大の石が積まれており、高さは約1.3mでした。東岸および南岸の東半については、西岸と規模や石材の使用方法が大きく異なることが判明しました。

今回検出した南岸の前面は、第1次調査で石槽(せきそう)が出土した地点にあたります。石槽の下部には、30〜40cm大の石が円弧状に並んでいることを確認しました。この右列は池の底石上に置かれており、石槽を安定させるための据え付け石と考えられます。

地底には、10〜30cm大の石が平らに敷きつめられています。東岸から約2m内側には、20〜30cm大の縁石(ふちいし)状の右列があり、そこから東岸にかけては地底が1段高くなることが判明しました。

今回の調査成果から南池の形状と規模を復元すると、南池は南北主軸でほぼ左右対称形となる可能性があり、五角形に近い平面形となります。その規模は南北55m・東西65mと推定されます。

なお、南池南東隅部では、池内に堆積した植物の腐植土(ふしょくど)の上に、平安時代の遺構(張り出し・砂利敷)がつくられており、南池の一部に改修が加えられたことがわかりました。これは、苑地の利用の変遷を考える上で重要な成果といえます。

まとめ

今回の調査により、南池の規模・構造がほぼ判明しました。特に、東岸は高さ3m以上をはかる巨大な石組構造で、視覚的効果をはかっていたことが読み取れます。また同時に、東が高く西が低いという自然地形を利用して飛鳥川を臨むように苑地がつくられたことも示しています。

今後も苑地の保存・整備・活用にむけて、苑地の構造の解明、さらに飛鳥京跡の宮殿との関連について調査を実施していく必要があります。

飛鳥時代の苑池

南池平面図(S=1/700)

南池平面図(S=1/700)

苑池と今回の調査区(S=1/3,000)

苑池と今回の調査区(S=1/3,000)

Tweet

ページ先頭に戻る