- 開催日
- 2015年(平成27年)9月19日(土)
- 調査機関
- 城陽市教育委員会
目次
1.ごあいさつ
久津川車塚古墳は、5世紀前半に築造された山城地域最大の前方後円墳です(墳丘長推定180m)。1894年に未盗掘の長持形石棺が露呈したことでよく知られ、古墳時代中期を代表する大型古墳として1979年に国史跡に指定されました。これまでの調査で、周濠(内濠)の外に周堤がめぐり、さらに外濠がめぐることがわかっています。このたび城陽市教育委員会では、史跡整備にむけて、墳丘の規模・形態や段築構造を明らかにするための調査に着手しました。 2013年度に墳丘の測量調査を行い、2014年度から発掘調査を開始し、墳丘の西側に造り出しをもつことを確認しました(2015年2・3月)。今回の2015年度調査では、西造り出しの構造を全面的に解明することをめざしました。
2.西造り出しの調査結果
(1)規模と構造
17世紀前半と推定される大谷川の氾濫により埋没した造り出しを確認し、その上面全体と西辺・南辺の裾部を検出しました(北辺は未確認)。上面の規模は、東西約10mに対し南北約20mの長方形ですが、東辺と西辺の長さがやや異なり台形状に造られたようです。また、後円部の墳丘にまたがるように取り付けています。裾部の規模は西辺が約28.0m以上、南辺が約13.0m、高さは西面で31mあります。造り出し上面の東端はわずかに高く、前方部の下段テラス面との間にある段差の残存とみられます。
(2)葺石・礫敷
造り出しの北・西・南の各斜面で葺石を検出しました。後円部と接続する北辺、前方部と接続する南辺では、斜面が屈折する谷線が通り、谷線に沿って上部まで良好に葺石が残っています。葺石は斜面下部で残りがよく、斜面上部では石材は転落し墳丘面が露出しています。
造り出し南辺と前方部の接続部では30cmほどの大型の基底石を置き、また両斜面の屈折する谷線のほか縦方向の区画石列が3列あります(前方部1列・造り出し南面2列)。区画内部を充填する葺石には10〜20cmの石が用いられています。さらに濠底には、葺石と同程度の大きさの石を敷いているようです。ここに水鳥形埴輪が3体以上配置されていたと推定されます。一方、西斜面の裾では明確な基底石がなく、斜面から濠底にかけて連続的に石が認められました。区画石列は北斜面でも2列が認められます。
(3)埴輪列
造り出し上面の外縁には、円筒埴輪(朝顔形埴輪を含む)を方形に配列しています。長辺約18m/短辺約10mで、墳丘側の東辺中央に食い違いがあり、入口を表現したものです。埴輪は東西南北で各29・29 ・25・5本以上を検出し、約150本程度と推定できます。四隅と、長辺を3分割、短辺を2分割する位置に大型の朝顔形埴輪を置き、その間に小型のものをならべています。
(4)造り出し内部の形象埴輪と供献土器
造り出し上面には一部で礫敷が認められ、本来は全面礫敷であったと推定しています。そして、埴輪列の内部には、大型品を含む家形埴輪、囲形埴輪(柵塀を表すもの)、蓋(傘)形埴輪・靫(矢入れの背負子)形埴輪などが配置されていたようです。次項でふれる埋葬施設上の洪水堆積層から家形埴輪や囲形埴輪の破片がまとまって出土したほか、斜面を含め南半部を中心に形象埴輪が出土しています。本来の位置に据わった状態のものはありませんが、推定される位置を示します(図4)。
造り出しの北半部からは、笊形土器やミニチュアの壹・高杯、食物形土製品が出土しており、現在まだ調査中です。これらは食物供献儀礼に使用されたものです。また、うち1点の壷は西辺の円筒埴輪の内部から出土しました(奈良県乙女山古墳に類例あり)。
(5)埋葬施設
造り出しの南半には、ほぼ東西幅の中心に、長辺7.7m/短辺3.5mの南北方向の長方形の掘り込みがあり、レーダー探査の結果によると深さ1.6mとのことです。その形状や規模から埋葬施設と考えられます。中軸の位置に礫や形象埴輪が深く落ち込んでおり(上面から約70cm程度)、深い位置にある木棺が腐朽することで、直上の土層が落ち込んでできた陥没を示します。家形をはじめとする形象埴輪は、造り出し南半部のこの埋葬施設一帯に配置され、その北側で食物供献などの儀礼を行ったのでしょう。
3.出土遺物
(1)円筒埴輪
円筒埴輪と朝顔形埴輪あわせて88本以上が出土しました。大きさに2種類あり、大型品は底径30〜35cm、小型品は底径22.5〜30cm、黒斑があり、外面調整にB種ヨコハケが見られます。
(2)形象埴輪
家形・囲形・靫形・蓋形・水鳥形の埴輪が出土しています。家形埴輪には入母屋造の大型建物があり、車塚の東にある丸塚古墳(帆立貝形、約80m)から出土したものと酷似しています。囲形埴輪の一部は、西辺中央の埴輪列のすぐ内側から出土しましたが、大阪府心合寺山古墳のものと類似しています。蓋形埴輪は既往の調査で確認されている立飾りのないものに加え、立飾りのあるタイプが新たに出土しました。水鳥形埴輪の破片は南斜面の葺石上から出土しました。大阪府誉田御廟山古墳(現応神陵)や兵庫県池田古墳で出土したものと類似しています。
(3)土師器と食物形土製品
ミニチュアの高杯や小型丸底壺、笊形土器などの土師器が出土しました。造り出しの北半に集中しています。笊形土器は竹で編んだ笊を表した土器で、車塚古墳に接する方墳の梶塚古墳(方墳、約50m)でも出土しています。食物形土製品として現時点でアケビ形1点があり、さらに増えるものと思われます。笊に食物を盛って供献していたものを笊形土器および土製品で置き換えたものです。
(4)須恵器
造り出し上面から小片3点、造り出し西斜面からはそう(※サイト管理者注:「瓦へんに泉」と記載)1点(TK73型式)が出土しました。前者の中には波状紋が施された小型の壺の頸部とみられるものがあります。
4.調査成果のまとめ
久津川車塚古墳の史跡整備に向けて、西造り出しの存在、その形態や規模および内部の様相、また前方部側面の墳端が明らかになりました。全面調査した造り出しとしては、これまでで最も大きいものとなります。車塚古墳の墳形は古市古墳群の誉田御廟山古墳(現応神陵)と類似し、円筒埴輪や形象埴輪についても共通点が認められ、ほぼ同じ時期と考えられます。久津川古墳群のなかでは丸塚古墳が同時期で、梶塚古墳に先行し、5世紀前半に位置づけることができます。また、入母屋造の家形埴輪は、破片の大きさからかなりの大型品になると考えられ、奈良県室宮山古墳やコナベ古墳など200mを越える前方後円墳に類例があり、車塚古墳の格付けの高さを示し、また形象埴輪の技術系譜を考える上でも重要です。
さらに、造り出しで埋葬施設を確認したことが特筆できます。造り出しへの埋葬事例は少なく、兵庫県行者塚古墳の後円部、室宮山古墳の前方部の造り出しで確認されていますが、くびれ部に取り付く通常の造り出しでの確認例はありません。前期後葉に出現する造り出しは、食物供献を表現する土器・土製品が出土することから、後円部中心主体の埋葬にともなう儀礼空間と考えられてきました。しかし今回の調査では、南北に長い造り出しとして、埋葬と儀礼の場を南北で使い分ける計画性が読み取れ、本来的に埋葬空間として設けられたと考えられます。これは造り出しを儀礼空間とする従来の見方に再考をうながすことになる重要な成果といえるでしょう。
車塚古墳の発掘調査は、今後、数年にわたって継続的に実施する予定です。造り出しが想定以上に南北に長くなり、後円部にまたがり敷設させるものであったため、後円部と重なる北辺については今回明らかにできませんでした。次年度以降、造り出し北辺と後円部の接続部を含め、墳丘西側の墳端をさらに追求するなど、史跡整備のために必要な確認調査を継続する予定です。
調査協力 岸本直文(大阪市立大学)長友朋子(大阪大谷大学)
参加者 ※省略
調査協力 桑原久男・小田木治太郎・橋本英将(天理大学) 岸田徹(同志社大学)
発掘現場写真
OLYMPUS E-M1 + M.ZUIKO DIGITAL ED 12-50mm F3.5-6.3 EZで撮影
出土遺物
OLYMPUS E-M1 + M.ZUIKO DIGITAL ED 12-50mm F3.5-6.3 EZで撮影
主催者説明ビデオ
iPhone 5Sで撮影
発掘現場風景ビデオ
iPhone 5Sで撮影