- 開催日
- 2015年(平成27年)9月26日(土)
- 調査機関
- 寝屋川市教育委員会
目次
説明文
小路(しょうじ)遺跡とは
小路遺跡は、寝屋川市小路北町および小路南町に広がる遺跡です。遺跡は、讃良郡条里(さらぐんじょうり)遺跡の一角に位置し、付近には奈良時代に設定されたと考えられる条里(じょうり)の区画に基づく東西あるいは南北方向に畦畔の認められる水田が広がっています。昭和52年(1977)に、小学生によって付近の水田より土器片が採集され、条里より古い弥生時代終わり頃の遺跡が所在することが明らかとなりました。
遺跡は近年まで水田や畑として利用され、大きな開発も無く、その実態は不明のままでした。この地に第二京阪道路の建設が計画され、平成13年より財団法人大阪府文化財センターによる事前の発掘調査が行われ、遺跡の北側で古墳時代初め頃の方形周溝墓15基が見つかり、墓域の存在が明らかとなりました。このうち、中央に位置する前方後方形の墓は、北河内地域の前方後円墳出現前の墳墓の事例として注目されました。また、遺跡の北西に隣接する讃良郡条里遺跡では、弥生時代終わり頃〜古墳時代初め頃の竪穴住居跡等が発見され、付近に同時期の集落遺跡があることがわかりました。
一方、小路遺跡の中心部分では、その後も大きな開発もなく、現在まで遺跡は水田の下に眠っていました。
今回の発掘調査の目的は
小路土地区画整理事業に伴って、実施するものです。昨年(平成26年)に事業予定地内で確認調査を実施したところ、いずれの調査区でも遺跡の存在が確認され、事業予定地全体に遺跡が広がっていると判断されたため、工事によって遺跡の損壊が想定される雨水調整池や道路等の建設予定地の約8000m2について、寝屋川市教育委員会が今年3月より発掘調査を実施しています。これまでに約4000m2の調査を終了し、現在は約2000m2の調査区(SH015-8区)の調査を行っています。発掘調査は、今年の年末までに残りの調査区の調査を実施し、現地調査を終了する予定です。
発掘調査の成果
現地表面(水田)下約50cmで、古墳時代の集落遺跡を発見しました。柱穴・溝・井戸・土坑(ごみ穴等)・自然河川などの遺構が見つかりました。遺構の埋土等から多数の土器が出土しています。見つかった土器は、その特微から「庄内(しょうない)式」と呼ばれる弥生時代終わり頃から古墳時代初め頃のものと考えられます。庄内式土器は、紀元2世紀後半〜3世紀に製作・使用されたと考えられており、ちょうど中国の史書『魏志倭人伝(ぎしわじんでん)』に登場する女王卑弥呼(ひみこ)のいた邪馬台国(やまたいこく)の時代と推定されます。多数の出土土器の中には、吉備地方(岡山県南部)や東海地方で多く見つかっている土器のかけらも認められ、こうした地域との交流があったと思われます。
発掘調査の意義
今回の調査により、小路遺跡は古墳時代初め頃の集落遺跡であることが明らかになりました。これまでの調査により南北約300m、東西200m以上の範囲に広がっていると考えられます。こうした規模や出土した大量の土器より、比較的大きな集落であったと推定されます。他地域の土器が見つかっていることから、交流の拠点として機能していた可能性があります。
また、遺跡の南東500mの四條畷市岡山には全長87mの古墳時代前期に築かれた前方後円墳の忍岡(しのぶがおか)古墳があり、両者の関係が注目されます。
北河内地域では、古墳時代初め頃の集落遺跡の調査例が少なく、その様相は不明な部分が多いです。このため、今回の調査成果は、北河内地域の古墳出現期の集落の解明に役立つと考えられます。また、小路遺跡は、今後の調査や研究により、北河内地域を代表する古墳時代初め頃の集落遺跡になると評価することができます。
発掘現場写真
OLYMPUS E-M1 + M.ZUIKO DIGITAL ED 12-50mm F3.5-6.3 EZで撮影
出土遺物
OLYMPUS E-M1 + M.ZUIKO DIGITAL ED 12-50mm F3.5-6.3 EZで撮影
主催者説明ビデオ
iPhone 5Sで撮影
発掘現場風景ビデオ
OLYMPUS E-M1 + M.ZUIKO DIGITAL ED 12-50mm F3.5-6.3 EZで撮影