- 開催日
- 2016年(平成28年)5月15日(日)
- 調査機関
- 独立行政法人国立文化財機構 奈良文化財研究所 都城発掘調査部
配布資料
今回の調査では、藤原京の西二坊大路や坪内道路、坪内に計画的に配置された大型掘立柱建物群などを検出し、藤原京の宅地利用に関する新たな知見を追加しました。
また、弥生時代終末期の周溝墓群を確認し、陸橋をもつ大型円形周溝墓の存在が明らかとなったことで、弥生時代墳丘墓の発展過程の解明に寄与する成果をあげることができました。
調査成果
今回見つかった遺構は、大きく藤原京期と弥生時代終末期の2時期にわけられます。藤原京期は条坊道路(西二坊大路)や大型掘立柱建物群など、弥生時代終末期には周溝墓群などがあります。
藤原京期
調査区の東側で西二坊大路東側溝とみられる南北溝を検出し、西二坊大路の位置を明らかにすることができました。西側溝は後世に削られて失われていましたが、九条三坊東北坪の東辺を区画する塀(塀1・塀2)を確認したことで、西二坊大路のおおよその幅を推定することができました。
九条三坊東北坪では、同時期とみられる掘立柱建物3棟(建物1〜3)を検出しました。これらは柱穴の一辺が1mを超える大型の建物です。なかでも建物1は、柱穴の底に15〜20cmの石を敷き詰めて柱の根元を補強しており、念入りなつくりであったことがわかります。これらの建物が坪の東半に計画的に配置されていることから、この地に一町(以上)を占める施設が存在していた可能性が考えられます。また、これらとは時期が異なる建物群(建物4〜7)もあり、藤原京期の間に建て替えがおこなわれていたことがわかります。
一方で、九条二坊西北坪では、坪をほぼ南北に二分する位置に坪内道路(道路2)があります。坪内を北と南とに分割して利用していたことがわかり、隣接する坪同士で利用の実態が異なることが明らかとなりました。藤原京の宅地の様相がうかがわれる新たな事例を追加できました。
弥生時代終末期
調査地は弥生時代の瀬田遺跡でもあります。大型の円形周溝墓を含む3基の周溝墓が見つかりました。いずれも墳丘は後世に削られて失われています。周溝からは弥生時代終末期の土器が多数出土しました。
円形の周溝がめぐる周溝墓1は、南側に陸橋が接続し、墳丘の直径が約18m、同時期の大和地域では最大級の規模です。周溝も幅6mにおよぶ巨大なもので、周溝の中からは多数の土器が出土しました。墳丘があったと考えられる位置で見つかった土坑1からは、周溝出土土器と近い時期のミニチュア土器が出土しています。
また周溝墓1の東側には、2基の方形周溝墓(周溝墓2・3)があります。いずれも、周溝の中から土器が見つかっています。同じ墓域の中に、方形の墓と円形の墓とが共存する様子を確認できたことは、弥生時代墳丘墓の発展過程を考える上で、重要な成果といえます。
発掘現場写真
OLYMPUS E-M1 + M.ZUIKO DIGITAL ED 12-50mm F3.5-6.3 EZで撮影
出土遺物
OLYMPUS E-M1 + M.ZUIKO DIGITAL ED 12-50mm F3.5-6.3 EZで撮影
主催者説明ビデオ
大型円形周溝墓の説明
iPhone 6sで撮影
発掘現場風景ビデオ
iPhone 6sで撮影