- 開催日
- 2016年(平成28年)10月15日(土)
- 調査機関
- 向日市教育委員会/公益財団法人向日市埋蔵文化財センター
五塚原古墳後円部南西斜面の調査
所在 | 京都府向日市寺戸町芝山3-1-6ほか |
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調査期間 | 平成28(2016)年8月8日〜10月28日(予定) |
調査所管 | 向日市教育委員会 |
調査機関 | 公益財団法人向日市埋蔵文化財センター(担当 梅本康広) |
調査協力機関 | 寺戸財産管理会 寺戸町連合自治 寺戸農家組合 大牧自治会 向日市公園住宅課、総務課 京都大学考古学研究室 |
1 はじめに
当センターでは向日丘陵古墳群の保存と活用の方法を探る目的で、五塚原古墳を対象に墳丘の遺存状況と範囲、内容の確認調査を実施しています。
立命館大学と協同ですすめてきた発掘調査は平成12(2000)年に始まり、7次の調査が行われてきました。これまでの調査によって、墳丘の構造は後円部が3段、前方部は2段で、前方部の形状は細くて長い「バチ形」を呈し、斜面途中に「斜路状平坦面」を備えるなど箸墓古墳と共通した墳丘の築成方法が確認され、最古型式前方後円墳のひとつであることが明らかにされています。
墳丘の規模は全長91.2m、後円部径54m、同高8.7m、前方部長40.5m、同前面幅33m、同高2.1〜4.0m(くびれ部付近から前方部頂)、くびれ部幅15mの復原値が得られてきました。
今年度は後円部西側斜面に第1調査区、南西側斜面に第2調査区を設定し、後円部の形状と段築の構造、墳丘外周の状況、古墳に伴う遺物の有無を把握するために調査を実施しています。
2 調査の成果
〔第1調査区〕
墳丘の南北中心線から西へ90度の方向に設定し、後円部の西側面の形状及び段築構造、葺石・礫敷の遺存状況、墳丘の範囲を確認するために設けました。
墳丘斜面は裾から墳頂までのあいだに、途中二箇所に平坦面を設けて三段に築かれています。斜面の勾配は各段ともに裾から急角度で立ち上がったのち、緩傾斜に変化しています。葺石は斜面下半部に遺存しています。斜面上半は葺石が脱落して墳丘の盛土が露出しています。また、基庭石やその直上に施された葺石は一部で、樹根の進入などの影響を受けて倒壊したり、大きくせり出すところがみられます。
検出した各段の規模は次の通りです。
第一段斜面長(水平距離)3.6m、高さ2.4m、
第二段斜面長3.7m、高さ2.1m、
第三段斜面長約8m、高さ約3.0m(推定)
基底石の外側には礫敷が1.5m幅で設けられています。埴丘斜面途中に設けられた平坦面は、各平坦面ともに幅1.0m分を確認しました。その上面には径10cm未満の細礫を隙間なく詰め込んで平坦な礫敷がつくられています。
埴輪棺
後円部が最も西側へ張り出した墳丘裾で配石と埴輪からなる埋葬施設が確認されました。その長軸は墳丘主軸から少し西側へひらいています。配石は隅丸長方形を呈し、長さ1.3m、幅0.55mの規模を有しています。内部には朝顔形埴輪を転用した棺身が据え置かれ、破片を被せて棺蓋としています。また、墳丘裾を取り込んで東壁をつくり、南側は埴輪片を立たせて小口としています。朝顔形埴輪は頸部が屈曲する箇所を打ち欠いてその小口にあてて置かれています。埴輪棺のすぐ西側には、これとほぼ同じ規模で礫敷の石材が無い箇所があり、埴輪棺を被覆する礫に使用するために抜き取られた痕跡と考えられます。
〔第2調査区〕
墳丘の南北中心線から西へ135度の方向に設定し、後円部の南西側面の形状及び段築構造、葺石・礫敷の遺存状況、墳丘の範囲を把握するために設けました。斜面の勾配は裾から0.4mまでが急角度で立ち上がり、上部の平坦面までは緩傾斜となります。検出した各段の規模は次の通りです。
第一段斜面長4.6m、高さ2.4m、
第二段斜面長4.3m、高さ2.2m、
第三段斜面斜面長8m、高さ2.8m
墳丘裾の外周には、礫敷が幅2.0m以上遺存しています。さらに外側は周辺よりも高い平坦面が広がっています。墳丘外周は丘陵地形を削ってできた平坦面やくぼ地が備わり、墳丘裾と外周の傾斜に変化を持たせて墳丘を立体構造物として壮観にみせる工夫がとられているものと思われます。
3 出土遺物
今回の調査でも、本墳の築造時期に関わる遺物は出土しませんでした。これまでの調査成果を勘案すれば少なくとも本墳には埴輪は無かったとみてよいと思われます。後円部墳頂で祭祀に使用された土器の存在も依然として確認できず、そこで使用された土器は少なかったか、儀礼の後に片付けられたとみられます。
いっぽうで、思いがけない発見がありました。棺に転用された埴輪の存在です。この埴輪の中には本墳から北西へ約500m離れた位置に所在した妙見山古墳(前期後葉、墳丘長110mの前方後円墳)で出土した朝顔形埴輪と同じ特徴を確認することができます。なかでも、注目される技法的要素として、朝顔形埴輪の頸部付近にめぐらせる突帯の貼り付け方法があげられます。朝顔形埴輪は多くの場合、頭部の屈曲点に突帯を貼り付けますが、妙見山古墳では頚部屈曲点から少し下がった位置に貼り付けるという独特な製作技法がみられます(向日市文化資料館2004年『向日丘陵の前期古墳』35頁参照)。ほかにも、粘土素地に混和剤(細礫)を多く含ませる胎土や突帯の形状、その貼り付け間隔、外面調整技法などにも共通性がうかがえます。
以上のことから、今回出土した埴輪は、五塚原古墳に樹立していたものではなく、元稲荷・寺戸大塚に後続する妙見山古墳へ供給するために4世紀中葉頃に製作されたものである可能性が高いとみられます。
4 調査の意義
今回の調査成果は、
①埴輪棺が検出され五塚原古墳の周辺には小さな埋葬施設が伴うこと、
②後円部の東西幅が約55mに確定できたこと、
③古墳の築造時期に伴う遺物は出土しなかったこと、
以上の3点に集約されます。
埴輪棺については、主墳の築造後にその被葬者の家族や親族を古墳の周辺に葬る「周辺埋葬」に相当します。埴輪棺の埋葬空間は内法で長さ80cm程度であり、未成人か改葬骨が納められたと推測されます。また、妙見山古墳築造後しばらくして、その埴輪が五塚原古墳へ持ち込まれ埋葬に使用されたものと考えられます。周辺埋葬の時期がわかる貴重な事例になります。
畿内の周辺埋葬の多くは主墳築造後1〜2世代までの範囲で埋葬を終える傾向があります。本例の場合、五塚原古墳の被葬者とは3世代以上離れていた可能性も想定しておく必要があり、埴輪棺の埋葬者との時間的関係をどのような脈絡で理解するかが課題としてあげられます。
墓地の構成については、縄文時代以来、その基本原理として家族・親族といった血縁関係によって結ばれた集団ごとに墓域が形成されていたとの見方が有力です。したがって、五塚原古墳の被葬者と埴輪棺の埋葬者との間にも親族的な系譜関係があり、世代を超えて先祖と子孫のつながり(出自関係)を示したと考えることもできます。また、埴輪棺を通じて五塚原と妙見山の被葬者の間にも接点をみいだすことができ、両者を同じ親族系譜のなかに位置付けることも可能になるかと思われます。
今回、五塚原古墳でようやく古墳時代の遺物が得られましたが、埴輪棺という思いがけない発見を通じて、古墳時代のひとびとの祖霊観や系譜意識をさぐる上での大きな手がかりが得られたと考えています。
発掘現場写真
OLYMPUS E-M1 + M.ZUIKO DIGITAL ED 12-50mm F3.5-6.3 EZで撮影
出土遺物
OLYMPUS E-M1 + M.ZUIKO DIGITAL ED 12-50mm F3.5-6.3 EZで撮影