久津川車塚古墳 北辺部の調査 現地説明会

開催日
2017年(平成29年)9月9日(土)
調査機関
城陽市教育委員会

久津川車塚古墳 現地説明会 資料

久津川車塚 くつかわくるまづか 古墳2017年度発掘調査の概要

城陽市教育委員会

1.ごあいさつ

久津川車塚古墳は、5世紀前半に築造された山城地域最大の前方後円墳です(墳丘長推定180m)。城陽市教育委員会では史跡整備に伴い、古墳の規模・形態や墳丘構造を明らかにする目的で、2013年度からの測量調査を行い、2014年度から発掘調査を進めています。これまでの調査によって、西造り出しには方形埴輪列がめぐり、玉類と鉄製品を伴う埋葬施設と土器集中部のあることがわかりました。また、西造り出しと後円部とのくびれ部では、斜面中程に平坦面を確認し、導水施設を模した埴輪片が出土しました。さらに上段くびれ部では、 礫敷 れきじき のテラスと埴輪列および上段斜面の茸石を確認しました。

2017年度は、後円部の規模を明らかにするため、後円部西側の墳裾の調査を行いました(1975年調査区を合む)【17-1トレンチ】。また、昨年度の調査範囲を拡張し、上段斜面および中段テラスのくびれ部を明らかにする調査を行いました【17-2トレンチ】。

図1
図2

2.後円部西側下段の調査結果(17-1トレンチ)

(1)下段斜面

斜面の葺石は上半では残存していませんが、下半では良好に遺存していました。裾部では墳丘と周濠との境を示す基底石が3〜4個残存している状況が確認できました。斜面を区切る区画石列は、縦石列が6本、横石列が1本確認でき、30cm前後の大きな石材を列状に重ねて茸いています。また、後円部渡り土手上の石列は、より整然と縦列を揃えるように茸かれていることを確認しました。

(2)渡り土手

調査区北西で渡り土手と考えられる高まりを検出しました。確認した渡り土手の長さは5.4mです。地山を削り出したのち、その上面に2層からなる盛土で形成されています。残存する上面から裾部までの斜面幅は約1.6mで、5〜10cm大の礫が茸かれています。裾には、より大型の基底石を置くことはしていません。上面の幅は現状で約5.1mですが、調査区外に続くため、長さ、幅ともに現在のところ不明です。

出土遺物としては、渡り土手上面から有機質遺物(弓状・ あぶみ 状ほか)と水鳥形埴輪片が、裾部付近から水鳥形埴輪片が出土しています。なお、渡り土手南斜面上半から中世の瓦器片が出土しました。

図3

3.西くびれ部上段裾の調査結果(17-2トレンチ)

(1)上段斜面

上段斜面の葺石は、斜面下半が良好に遺存し、上半は後世の 撹乱坑 かくらんこう により残っていません。上段斜面の裾部は、後世の溝が掘られ失われていましたが、基底石と思われる大型の石材が原位置から動いた状態で残っています。調査区の中央付近で石列を検出し、斜面上半までやや後円部側に曲がりながら続いていました。この石列が、前方部と後円部が接続するくびれ部谷線と考えられます。この区画石列は他の茸石が小口積みなのに対して、長辺を横にして平置きの状態で茸かれていることが特徴です。出土遺物としては、円筒埴輸のほか朝顔形・家形・ きぬがさ 形・盾形・ ゆぎ 形・ 甲冑 かっちゅう 形埴輸の破片が出土しました。

(2)中段テラスおよび下段斜面

中段テラスで8本分(うち1本欠落)の埴輪列と磯敷を検出しました。テラス幅は約3.4mです。また、北から4本目と5本目の間を境として埴輪列の方向が変わります。埴輪列は埴輪それぞれに掘之、ドり方を持たず、埴輪列全体に掘り方を設ける布掘りの方法で置かれています。埴輪列から上段斜面裾までの平坦面には5cm大の磯が、敷かれていました。中段斜面では葺石は失われていましたが、墳丘盛土を検出しました。
出土遺物としては円筒・朝顔形埴輸が出土しています。

図4

4.出土遺物について

(1)円筒埴輪

西くびれ部中段テラス面からは円筒埴輪と朝顔形埴輸が合わせて7個体出土しました。底部から一段目付近までが残存しています。

(2)形象埴輪

後円部西側の渡り土手の上面と南側斜面裾付近より水鳥形埴輪片が出土しました。部位は、羽部・頚部・頭部や くちばし 部分および基部(円筒)が出土しています。同じような渡り土手をもつ兵庫県池田古墳(前方後円、約135m)からも斜面裾付近で出土しました。

西くびれ部上段斜面からは家形・蓋形・盾形・靫形・甲冑形埴輸が出土しました。家形埴輪については、屋根部・ 鰹木 かつおぎ などが出土しました。鰹木には大きいものと小さいものがあり、2個体以上はありそうです。蓋形埴輪については、笠部・軸部・立ち飾り部が出土しました。立ち飾り部は赤色顔料を塗布したのちに焼成したものもあります。盾形埴輪については盾面部分が、靫形埴輪については 鏃部 ぞくぶ が、甲冑形埴輪については、 草摺 くさずり 部分が出土しました。いずれも墳頂部から転落したものと考えられ、大正4(1915)年の調査において墳頂から出土した埴輪とも類似しています。

(3)その他の遺物

渡り土手上面北側(拡張区)から有機質の遺物が3点出土しました。全て基底石から70cm以内の場所に集中しており、そのうち1点は基底石の下に入り込んでいる状態で検出しました。1点目は残存長29cmで細長く緩やかに湾曲を呈しており、木製弓の可能性が考えられます。2点目は残存長10cmの隅丸長方形で、遺構接地面が半円形を呈しています。そして3点目は 鉤状 かぎじょう の屈曲から長さ6.5cm、幅2cm程の棒状に伸び、半円形に湾曲した部分に接続した状態で出土しました。これは、馬具の あぶみ の可能性が考えられます。一部木質が確認できるものの、大半が自然炭化または粘土化した状態のため、器物の特定には至っていません。

(コラム)渡り土手

渡り土手主要調査事例

兵庫県池田古墳

渡り土手とは、周濠のある古墳において墳丘と堤とを結ぶ「墳丘への出入口」としての役割を担っており、陸橋や渡土堤とも呼ばれています。今年度調査で渡り土手の可能性のある遺構は、後円部西側の主軸直行線上から、北西方向に向かってやや斜めに伸びています。同様の位置に取り付く事側は、大阪府仲津山古墳や、宮崎県 女狭穂塚 めさほづか 古墳などが挙げられます。また付設箇所は、くびれ部から前方部側面にかけての位置に左右対称に取り付くものや、後円部(後方部)に取り付くものなどに分けることができます。そのため渡り土手の取り付く箇所とその意味合いの解明が今後の検討課題となります。

5.調査成果のまとめと課題

後円部西側において墳丘の裾を確認し、渡り土手の取りつくことがわかりました。後円部と渡り土手は地山削り出しで構築されていて、渡り土手は少し盛土がされていたことが確認できました。また、墳丘の葺石が先に構築され、渡り土手の斜面の磯が後に構築されたことが明らかになりました。渡り土手からは水鳥形埴輪のほか、上面から有機質の遺物が出土しており、渡り土手が葬列の出入りする特別な意味を持った基道であることを示唆しています。渡り土手の発掘調査を行った事例は限られており、今回の成果は渡り土手の構造や性質を考える上で貴重なものといえます。ただし、渡り土手の北側斜面や西端を確認できていないため、造り出しまたは突出部の可能性もあります。

西くびれ部の上段斜面では後円部と前方部の境に石列が通り、中段テラスに据えられた埴輪列の方向が変わることから、くびれの位置が明らかとなりました。後円部各段の復元において多くの重要な知見を得ることが出来ました。

来年度は周堤側を含む渡り土手の規模や構造を調査し、当古墳の更なる実態解明を進めていく予定です。

調査協力

  • 岸本直文(大阪市立大学)
  • 長友朋子(立命館大学)
参加者

道上祥武・阿部大誠・大澤嶺(大既市立大学大学院生) 合田古都・松井節子(大医市立大学学生) 園原悠斗・吉村慎太郎(立命館大学大学院生) 安藤淳・木下彰人・山本智大・市川貴大・置本一馬・佐藤里咲・中野滉介・林田卓也・前田仁暉・三谷勇汰・宮下大輝・山口万里・山崎公輔・佐藤拓・黒田和希(立命館大学学生) 川北奈美(京都大学大学院生) 泉眞奈・田口裕貴・上野あさひ(奈良大学学生) 相馬勇介(近畿大学学生) 中谷俊哉(京都橘大学学生) 池口太智(同志社大学学生)

後円部西側下段の写真

画像を拡大表示した後は、キーボードの左右矢印キーで画像を切り替えられます。

OLYMPUS E-M1 + M.ZUIKO DIGITAL ED 12-50mm F3.5-6.3 EZで撮影

西くびれ部上段裾の写真

OLYMPUS E-M1 + M.ZUIKO DIGITAL ED 12-50mm F3.5-6.3 EZで撮影

説明ビデオ

iPhone 6sで撮影