- 開催日
- 2018年(平成30年)7月21日(土)
- 調査機関
- 高島市教育委員会事務局文化財課
南畑・下平両古墳群 資料
2018年7月21日
【調査概要】
調査地 | 滋賀県高島市新旭町安井川字南畑1609番ほか |
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調査面積 | 5340m2(西地区:3200m2・東地区:1300m2・中央地区:440m2・下平6号墳:400m2) |
調査期間 | 平成29年3月1日〜平成30年7月下旬(予定) |
【はじめに】
今回の調査は、太陽光発電所建設工事に伴う事前の埋蔵文化財発掘調査を南畑古墳群と下平古墳群で実施しました。調査は、工事計画に基づき、南畑古墳群の3地区(西地区・東地区・中央地区)と下平6号墳、計4つの地区に分けて行いました。調査の結果、西地区では3基、東地区では4基、中央地区では3基の古墳および埋葬施設が確認されました。この他、下平6号墳の規模等が判明するなど、古墳時代における当地域での造墓活動の様相が明らかになりました。
【古墳群の概要】
古墳群は、高島市のほぼ中央に位置する、 饗庭野 台地東端部から安曇川に向かって舌状に延びる丘陵地上に位置します。下平古墳群は標高約160メートル、南畑古墳群はこれよりやや下った標高約120メートルのところに分布し、高島市南部の平野部を一望できる立地にあります。
下平古墳群は、昭和30年代の果樹園造成時に、須恵器などの土器が出土したことからその存在が知られ、昭和55年には23基の古墳が確認されました。南畑古墳群は、かつては多くの古墳が存在していたようですが後世の畑地開墾によって、その大半は削平されていました。
調査前の状況では、下平古墳群で6基、南畑古墳群では1基の墳丘が確認できた以外、古墳の存在や規模、構造等の詳細については多くが不明でした。今回の調査により、その一端が明らかになりましたので、以下、地区ごとに概要を報告します。
【南畑古墳群】
西地区
3基の古墳を確認しました。
1号墳は、直径約10mの円墳で、墳丘斜面には 外護列石 をめぐらします。埋葬施設は、南西側に開口する横穴式石室です。石室は、奥壁と両側壁の一部が残り、その規模は、残存長約1.6m、幅約1.3mを測ります。玄室には、棺台とされる石が配され、その付近からは鉄釘が複数出土しました。棺台には、釘を使って組み立てた木棺を置いていたものと考えられます。石室からは、ほぼ完形の須恵器(坏身・坏蓋・短頚壷・高坏・広口壺)が出土した他、鉄製品(鉄鏃・鉄斧)も出土しました。時期は、6世紀後半と考えられます。
2号墳は、1号墳から北西45m程離れた位置に所在する直径約12.5mの円墳です。埋葬施設は、南西側に閉口する横穴式石室で、墳丘裾部には外護列石を巡らし、墳丘外周の約半分程が残っています。石室は、奥壁から玄門部にかけて残存し、その規模は、長さ約5.2m・幅約1.6〜1.7mを測ります。石室からは、須恵器(坏身・坏蓋・高坏・はそう等)が出土し、時期は、6世紀末〜7世紀初頭と考えられます。土器には、8世紀代の土器も含まれることから、追葬もしくは盗掘がこの時期にあったともの考えられます。
3号墳は、幅約0.7〜1.8m、深さ約0.3mの周溝を巡らす直径約7.5mの円墳です。墳丘の中央部において、長さ約2.6m・幅約1.1mの埋葬施設を検出しました。地山を掘り込んだ墓壙(墓穴)内からは、須恵器(坏身・はそう)が完形で出土しました。時期は6世紀後半と考えられます。
東地区
表土から約30〜50cm下で、埋葬施設を4基(埋葬施設1〜4)検出しました。
埋葬施設1は、墳丘南西側に周溝が残存する直径約14m(推定)の円墳です。墳丘の中央部において、長さ約4.2m〜幅約1.0〜1.2mの埋葬施設を検出しました。木棺直葬と推定され、床面からは赤色顔料が確認されました。棺内には、副葬された須恵器(坏身・坏蓋・高坏・はそう・広口壷など)の多くが完形で出土した他、墓壙内の埋土からは土師器(高坏)が出土するなど、木棺の埋戻し時に土器を埋める行為が行われていたようです。時期は、6世紀後半と考えられます。
埋葬施設2・3は、20〜30cm程の石材が出土していることから、小石室であった可能性があります。大部分が破壊され詳細は不明ですが、埋葬施設2からは、須恵器(坏身・高坏・長頚壷)の他に金環が4点、埋葬施設3からは須恵器(坏身・坏蓋・高坏・長頚壺など)が出土しています。時期は、いずれも7世紀代と考えられます。
この他、埋葬施設4は、周溝を巡らす直径約10mの円墳です。古墳の中央に位置する埋葬施設からは、須恵器(坏身)が出土し、時期は6世紀後半と考えられます。
中央地区
表土から約30〜50cm下で埋葬施設3基(埋葬施設5〜7)が検出されました。
埋葬施設5では、長さ約3.6m・幅約1.6mの墓壙内に、竪穴系小石室を構築しています。石室は、基底石の一部が残存するのみで、多くは後世の削平と共に大きく失われ、原形を留めていませんでした。石室内からは、須恵器の破片と共に金環2点が出土し、時期は7世紀前葉と考えられます。
埋葬施設6は、埋葬施設5から西北へ約2.0m離れた所に位置します。幅0.8m程の墓壙を掘り下げると、対になった須恵器(坏身)の完形が、金環1点と共に出土するなど、埋葬時の状況を良く残していました。墳丘や周溝、埋葬施設の規模等の詳細は不明ですが、時期は7世紀前葉と考えられます。
埋葬施設7は、長さ約2.7m・幅約1.4mの土壙墓です。地山を掘り込んだ墓壙の底から須恵器(坏身・坏蓋・直口壺)が完形で出土しました。時期は、7世紀前半と考えられます。
【下平6号墳】
直径約16mの円墳です。周溝幅約2.0m、深さ約0.3m、墳丘高(周溝底から)約1.2mを測ります。埋葬施設は、後世の削平と盗掘の為、確認できませんでした。墳丘からは、円筒埴輪と須恵器の破片が出土し、時期は、5世紀後半と考えられます。
【まとめ】
今回の調査により、南畑古墳群ではこれまで存在が明らかでなかった古墳や埋葬施設が新たに確認されるなど、これまで認識されてきた全体像より、かなり広範囲に大規模な造墓活動が継続して行われていることが判明しました。下平古墳群と南畑古墳群の立地からは、安曇川左岸の古墳時代の共同墓域をなしていたと考えられ、その中でも下平6号墳は、墓域形成の早い段階に造られたことが伺えます。そして、5世紀後半には始まっていた造墓活動が、同じ墓域内で変化しながらも、7世紀代に至るまで継続して行われる展開過程の状況を示す調査成果となりました。
【編集・発行】
高島市教育委員会事務局教育総務部文化財課
遺構の写真
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展示遺物の写真
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