富雄丸山古墳 第2次調査 現地説明会

開催日
2019年(平成31年)1月26日(土)
調査機関
奈良市教育委員会

はじめに

 

富雄丸山古墳は、1972年に奈良県教育委員会がはじめて測量・発掘調査を行い、粘土槨を埋葬施設とする直径86m の円墳と報告されました。この時出土した鍬形石片が、明治時代の出土品とされる京都国立博物館所蔵品(重要文化財)と接合したことから、それらも富雄丸山古墳出土品であることが確定しました。

 

奈良市教育委員会で2017年度に航空レーザ測量を実施したところ、直径約110mの造り出し付円墳であると考えられ、国内最大の円墳となる可能性がでてきました。

発掘調査成果

 

今回の調査は、古墳の規模・構造を確認することや1972年に発掘調査された場所の確認を目的とし、4つの発掘区を設けて実施しました。その結果、国内最大の円墳と考えて支障のないデータや墳丘の構造が判明するなどの重要な成果を得ることができました。

墳丘の構造について

墳丘裾

墳丘裾の推定位置にC 発掘区を設定しました。地山を成形した後、盛土をして葺石を行っていることがわかりましたが、約1600年の間にそのほとんどが崩れて転落していました。しかし、1段目斜面の外側に平坦面を確認し、この傾斜変換点を墳丘裾とみれば古墳の直径は約109m に復元できます。今後複数箇所で裾の位置を確認して規模や形状を確定する必要があります。

段築

墳丘の構造を確認するためにB~D発掘区を設定しました。その結果、航空レーザ測量をもとに推定していた位置からずれた場所で1・2段目平坦面と円筒埴輪列を確認しました。平坦面の幅は1段目が約7.2m、2段目が約8.8mで幅広く、その中央に約20cm 間隔で立て並べた円筒埴輪列があります。斜面の葺石は多くが崩れていました。

造り出し

造り出し部分にB発掘区を設定しました。墳丘との接続部分および中心付近が削られていましたが、一部で平坦面に小礫を用いた礫敷を確認し、斜面には葺石がみられます。北西部は2段につくられており、幅約3.8m の平坦面中央で円筒埴輪列を検出しました。埴輪の間隔は約10cmと狭くなっています。

墳頂部

1972年に発掘調査された範囲の輪郭をA発掘区で確認し、その位置情報を得ることができました。

出土遺物について

 

墳頂部の旧発掘区埋土から鍬形石、管玉、鉄器(刀・剣・刀子・鏃・小札)、埴輪(普通・鰭付円筒埴輪、朝顔形埴輪、不明形象埴輪)、造り出しから円筒埴輪や段差表現のある蓋形埴輪などが出土しました。

発掘調査体験 × 学生との協働調査

 

今回の調査では、体験学習事業として市民等が参加できる発掘調査体験を同時開催しました。のべ315名の参加者に墳頂部旧発掘区の発掘体験と造り出し等の調査見学を通して埋蔵文化財保護の大切さを学んでいただきました。

 

また、奈良市と奈良大学の連携協定に基づき文化財学科の学生と協働して発掘調査を実施することで、調査技術の継承や学術情報の共有を行い、研究教材としても活用を図りました。

表紙写真
富雄丸山古墳の位置図
墳頂部で出土した遺物
発掘区位置図
造り出し斜面と円筒埴輪列(写真1)
墳丘裾(写真2)
2段目平坦面の円筒埴輪列(写真3)

遺構の写真

展示遺物

画像を拡大表示した後は、キーボードの左右矢印キーで画像を切り替えられます。

OLYMPUS E-M1 + M.ZUIKO DIGITAL ED 12-50mm F3.5-6.3 EZで撮影

説明ビデオ

iPhone X Maxで撮影