- 現地説明会日時
- 2019年(平成31年)2月23日(土)13:30 〜 15:30
- 所在地
- 天理市萱生町
- 調査期間
- 平成31年1月15日〜平成31年3月中旬(予定)
- 調査担当
- 天理市教育委員会文化財課 主任主事 村下博美
1. はじめに
天理市教育委員会では大和・柳本古墳群の基礎調査を継続的におこない、その保護と保存に取り組んでいます。このたび大和古墳群の基礎調査に伴いヒエ塚古墳の地中レーダ探査及び発掘調査を行いました。
2. ヒエ塚古墳の概要
ヒ工塚古墳は天理市萱生町に所在する、全長約130mの前方後円墳です。大和古墳群中の萱生支群に属し、同古墳群でも北端に位置しています。龍王山から延びる尾根上に前方部を西に向けて築かれており、同じ尾根上には東南にクラ塚古墳、西にノムギ古墳が築かれています。
3. 既住の調査
ヒ工塚古墳はこれまでに橿原考古学研究所による測量調査と発掘調査、天理市教育委員会による航空レーザー測量と発掘調査がおこなわれ、今回が4度目の発掘調査になります。
橿原考古学研究所による測量調査と発掘調査
昭和52(1977)年に測量調査を実施し、全長約130m、後円部径約60mの前方後円墳とされ、墳丘周囲に周濠状の地形を伴うと報告されています。その後、平成14(2002)年度に古墳の北側で第1次調査が実施され、周濠の北側に外提の存在を指摘したほか、古墳築造時に埋め戻されたと考えられる溝からは、庄内式期の土器が見つかりました。そのため古墳の築造時期が古墳時代前期前半に遡る可能性が示されました。同じく平成14(2002)年度には前方部西側に、墳丘裾の確認トレンチが2箇所設定されましたが、ヒエ塚古墳の周濠及び墳丘裾は確認できませんでした。
天理市教育委員会による発掘調査
平成25年度におこなった第2次調査は、後円部の南側で実施し、葺石基底部と周濠、周濠のさらに外側に谷状の落ち込みが見つかりました。葺石基底部は地山面上に人頭大以上の石を設置し、それらの上面には拳大の石を墳丘斜面に沿って積み上げています。平成28年度には後円部の北側で第3次調査をおこない、周濠と葺石及び、基底石を確認しました。周濠は底幅から南側と同規模であると考えられ、周濠底面では基底石が見つかっています。基底石は大きいもので最大幅が約50cmあり、それらの上に拳大から人頭大の石材を小口積みにしています。
天理市教育委員会による航空レーザー測量
現況のヒ工塚古墳墳丘とその周辺の測量調査を実施し、南東から北西に向けて地形が下がることがわかりました。
4. 今回の調査成果
(調査進行中のため見解に変更が生じる可能性があります。)
(1)地中レーダ探査(天理大学との共同調査)について
天理大学に依頼し、後円部北側と今回の発掘調査地で地中レーダ探査をおこないました。後円部では、平成28年度の発掘調査で確認した葺石とそれに続くような反応がみられました。それにより、後円部の輪郭がより鮮明になりました。また平成29年度に実施した航空レーザ測量の成果と合わせて、後円部の直径が約69mになると考えられます。
(2)発掘調査について
前方部北側の状況を確認するため、南北に幅約3m、全長約17.8mの第1調査区と幅1.2m全長約16mの第2調査区を設定しました。
墳丘裾及び周濠
現状で墳丘裾が石垣となっており、前方部は大きく削平を受けていることが見受けらます。今回の調査では墳丘裾及び、周濠を確認することはできず、後世に周辺を耕地化する際に削平されたと考えられます。
古墳築造以前の旧地形
南東から北西方向にのびる谷地形を確認しました。ヒエ塚古墳に関わる遺構や遺物は見つかっていませんが、ヒエ塚古墳の成り立ちに関わる知見が得られました。
海軍柳本飛行場に関連する可能性がある遺構
東西約1.9m、南北約10.6mの施設を確認しました。施設は木造です。南北方向に長く、北側と南側に西向きの出入り口がそれぞれついています。
5. おわりに
今回の調査では、ヒエ塚古墳前方部に関する遺構や遺物は見つかっていませんが、古墳築造以前の旧地形を確認するなど、ヒ工塚古墳の成り立ちに関する新たな知見を得ることができました。
今後も継続して大和古墳群の基礎調査をおこない、史跡指定を目指していきます。
遺構の写真
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OLYMPUS E-M1 + M.ZUIKO DIGITAL ED 12-50mm F3.5-6.3 EZで撮影