- 現地説明会日時
- 2019年(令和元年)9月14日(土)
- 調査機関
- 公益財団法人京都市埋蔵文化財研究所
所在地 | 京都市南区唐橋大宮尻町22番地ほか(元京都市立洛陽工業高等学校) |
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調査期間 | 2018年12月3日~2019年10月初旬(予定) |
調査面積 | 約5445m2(現在3・4区と拡張区①②③を調査中、1・2区は終了。) |
1.はじめに
今回の調査は、2018年に閉校した京都市立洛陽工業高等学校の跡地利用計画に伴って行われているものです。
調査地は、平安京右京九条二坊四町・九条大路と弥生時代から古墳時代の集落跡である唐橋遺跡に該当しており、今回の調査でもこれらに関連する遺構・遺物を検出しています。
今回の説明会では、現在調査中の3・4区と拡張区①の調査成果について説明をします。
2.調査成果
- (1)古墳時代
- 3区で6世紀代の竪穴建物(3棟以上)、他に柱穴や溝などを確認しています。この内、竪穴建物1は、一辺の長さ約6.5m方形で深さは0.1~0.2m、西辺にカマドがあります。
- (2)平安時代
- 平安京の南辺となる九条大路と平安京南限の壁(羅城)の基底部が見つかりました。この他には、掘立柱建物群があり、3区東半部と4区の西大宮大路に近いエリアに集中しています。また、平安時代後期の耕作に伴う溝や畦も確認しています。
九条大路南北両側溝
大路に伴う北側溝は9世紀の溝412と10世紀の溝170の2条があります。溝412は、10世紀の整地層の下層から検出されました。幅は約1.2mですが上半は削られており、深さは約0.2mしか残っていません。溝170は幅約2.4m、深さ約0.5mです。
一方、南側溝は溝360が存在しています。幅約1.2m、深さ約0.4mです。北側溝170と南側溝360は、10世紀代に埋没したことが出土した土器からわかります。
両側溝の間が九条大路の路面となり、路面には細かい礫が敷かれています。
犬走 (礫敷き414)
南側溝と羅城の間にあり、南北幅1.5mで細かい礫を敷き詰めています。
羅城 基底部(高まり365)
南側溝の南側で、南北幅約3m、高さ約0.15mの高まりが見つかりました。砂礫と土を交互に盛り、固く締めて構築されています。位置・規模・構造などから、羅城の基礎部分と考えられます。羅城本体は検出していませんが、柱列が無いことから、築地塀であった可能性が考えられます。
畦 330
12世紀に造られた北東から南西方向の大規模な畦です。幅約3m、高さ0.3m。畦の表面には拳大の石を張り付ける様に敷いていました。また基礎部分は地面を0.2mほど掘り込んでいます。九条大路南側溝の犬走と羅城基底部の一部は、この畦330によって失われています。
3.まとめ
今回の発掘調査によって、平安京の南辺を画する九条大路と羅城の基底部が初めて確認されました。平安京の四辺を画する道路の一条大路・東京極大路・西京極大路は、これまでの発掘調査で路面や側溝が既に確認されており、これですべてが確認されたことになります。
平安時代中期に編まれた『 延喜式 』には、九条大路の規模は築地心々で幅12丈(120尺・約36m)とあり、併せて記されている側溝や犬走の規模から、両側溝の心々距離は10丈(100尺・約30m)であったことが分かります。今回確認された9世紀の北側溝である溝412と南側溝の溝360の溝中心間の距離は30mで、九条大路は当初規定通りに造られていたことが分かりました。その後、10世紀に北側溝を約3m南に掘りなおした結果、路面幅は狭くなっています。一方、『延喜式』には、羅城の外に幅7尺(約2.1m)の犬走と幅1丈(約3m)の溝が記されていますが、それらは存在せず、延喜式にはない羅城の基礎部となる基底部の存在を確認しました。
このように、規定通りに造られたと部分とそうでない部分とがあり、その意味するところは今後の課題となります。しかし、これまでその存在が確認されていなかった羅城が、羅城門から西へ約630m、西寺のさらに西側にまで造られていた事が判明した意義は大きく、今後、平安京の完成度や正面観を考えていく上で、大きな成果であることは間違いありません。
遺構の写真
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OLYMPUS E-M1 + M.ZUIKO DIGITAL ED 12-50mm F3.5-6.3 EZで撮影
説明ビデオ
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