尾山遺跡発掘調査現地説明会
- 水無瀬離宮の時代にあった池跡の調査 -

現地説明会日時
2020(令和2年)10月3日(土)
調査機関
島本町教育委員会
現地説明会資料
http://www.shimamotocho.jp/gyousei/kakuka/kyouikukodomobu/shougaigakushuuka/rekishi_bunkazai/maizobunkazai/1602240175683.html

島本町は、古来、水無瀬川をはじめとする清流が流れる、風光明媚な土地として知られている。全国名水百選に選ばれた「離宮の水」に代表されるように、北摂山地(山側)と淀川の間にある平野部を流れる川には、現在も清らかな水が流れている。

島本町桜井二丁目に位置する尾山遺跡では、土地区画整理事業に伴い、令和2年6月1日から、島本町教育委員会と(公益財団法人)大阪府文化財センターによる合同調査を実施している。調査前、遺跡周辺は、室町時代から水田・畑として土地利用されており、田園風景が広がっていた。発掘調査では、縄文時代から中世にいたるまで当地で生活していた人々のざまざまな生活の痕跡がみつかっているが、今回あらたに、後鳥羽上皇が造営した水無瀬離宮、あるいは、後鳥羽上皇に近しい皇族・貴族が関係すると思われる池(167池)を発見した。

図
図:遺構図

地業(整地)を行った場所で硬化面(硬くなった地面)が確認された。そこから、完全な形の土師器(はじき)が、並べられたような状態で出土している。祭祀や饗応(宴会)で使用したものだろうか。13世紀を中心に14世紀前葉までの土器が多量に出土した。

藤原定家の日記『明月品』には、正治元年(1199) 年頃から後島羽上皇がたびたび水無瀬離宮を訪れていることが記されている。現在、水無瀬神宮のある場所に水無瀬離宮があったが、低地に位置するため、建保四年(1216) の洪水によって倒壊してしまう。

写真

その翌年には、新しい御所が山上(高台)に築かれたことが文献に記されており、桜井三丁目に所在する西浦門前遺跡では新しい御所の池がみつかっている。西浦門前遺跡の池は、大きさこそ異なるが、尾山遺跡の167池と類似したデザイン・石材・工法によって造られており、両者が深く関係していることが想定できる。ここからも、尾山遺跡の167池の造営には、後鳥羽上皇に近しい皇族・貴族が関わっていた可能性が高いと考えられる。

井戸の写真2点

2基の井戸がみつかった。井筒(いづつ)には、樽を七段に重ねたものと石組みのものがある。石組みの井戸には、167池のような精緻さ、色彩の統一は無く、生活用水を主目的とした、実用に即したものであったことがわかる。167池を所有した人物の居住を知る手がかりは、今回の調査区ではみつかっていないが、井戸の存在は周辺に人が住んでいた証拠となりうるものだろう。

意匠(デサイン)と色彩の美

青い石を基調に、こぶし大の石が池底から平坦面にかけて置かれる。山側の石がやや赤く染まっているのは、鉄分の影響によるものである。青色の景石は池の外側と内側に、それぞれ置かれる。池と溝の接続部に置かれた二石は黒ずんだ青色で池内の石とあざやかさが異なる。また、平坦面のベースとなる地層(基盤層) の色は水分の含有状況にもよるため、鎌倉時代と現在では異なっていた可能性もあるが、水に濡れると池内の石と同系統の青色である。どの時点で置かれたものかわからないが、円形に置かれた石の中にあって、赤い土師器は目を引く。土師器の東側にある赤い石(チャート)も目を引くが、池の肩部にも赤い石を二石確認しており、転石の可能性がある。一方、外側と内側の景石の間は、白色である。石英の小石が3点残っている状況が確認できるが、この上部には白い砂の分布が認められた。

167池の写真

平坦面には直径約30cmの円形の穴がみつかった。穴は泥によって埋没していたが、池の内側の形が穴の輪郭に沿ってふくらんでおり、池を造った当初から意識されたものであったと考えられる。この穴に景石が据えられていた可能性がある。池内から出土した土器は13世紀後葉から14世紀前葉のもので、池の造られた時代はそれをさかのぽるものと考えることができる。

裏込めの石、竹、落口の写真

池の平面形は、山側に水滴状に膨らんでおり、西側から水を引き込んでいたことが分かった。

平端面から内側へ、水の引き込んだ場所では、小さい導水施設がみつかった。10 cm大の石を階段状に重ね、両側に竹が確認できた。水の落ち口は、落ちてきた水の浸食を受けて凹んでいる。

また、池の裏込めに見える石は池内の育い石と同質の石が用いられる。池の意匠として用いられただけではなく、導水施設上部に想定される池内への水流を適度に分散させる機能があったと考えられる。

池に水を引き込む溝は今回確認されておらず、湧き水を利用したものであった可能性がある。

外側の景石、土留めの横木、内側の景石、土留めの杭の写真

溝と池の接点には、幅の長い、重厚な景石を置く。外側の景石は、その存在感から、円を描く池の綸郭を引きしめると同時に、池への降り口であった可能性もある。左右にみられる横木は、池の倒壊を防ぐための土留めとして機能したのである。内側の景石は、二石を置き、手前の景石は外側の景石の倒れ込みを防ぐと同時に、二石組として欅側及び側面から見た際、景石の並びに奥行きをもたせる。また、内側の景石の右横には、内側の土留めとして3 本の杭が確認されている。

平坦面、欅の写真

景石の対向する位置には、平坦面から外側の形状に沿うように欅(けやき)の樹木があった。欅は古代には槻(つき)とよばれ、空に向かって広がるようにのびる樹形が美しい落葉広葉樹である。春はやわらかい緑、夏には深く濃い緑、秋は紅葉の赤、冬は葉を落とした樹枝の陰影の黒が、四季折々の池の景色を演出したと考えられる。欅は、木目の美しさと堅さを備えることから家具や建築部材への利用価値が高いこともあり、池が埋め戻される前に伐採されてしまっている。

イラスト:池と欅、歌人

現場写真

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OLYMPUS E-M1 + M.ZUIKO DIGITAL ED 12-50mm F3.5-6.3 EZで撮影

説明ビデオ

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