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巨勢山古墳群 現地説明会 資料

室地区の調査條ウル神古墳の調査まとめにかえて

平成14年(2002年)3月23・24日
御 所 市 教 育 委 員 会

群集墳の調査

調査位置図 室地区では当初、古墳の密集度の高い、群集墳としての典型的な箇所を調査する目的で、巨勢山470・471・472・473号墳を調査対象としました。470・471号墳は、471号墳を後円部、470号墳を前方部とする、前方後円墳の可能性が高いことが判明しました。以降、両者合せて471号墳と呼びます。後円部の主体部は完全に破壊されて大きな穴となっていましたが、わずかに採集できた須恵器から、本墳は5世紀後葉の築造とみられます。また、前方部には2基の主体部があり、いずれも木棺を直葬しています。主体部1は6世紀初頭の構築とみられ、墓壙埋土内に土師器高杯3点が埋められ、棺上に鉄鏃1点が置かれていました。主体部2は主体部1の東側の墓壙小口を破壊して設けられ、時期も6世紀後葉と100年ほど後に構築されたものなので、前方後円墳としての471号墳とは直接関係がないのかもしれません。墓壙埋土には須恵器堤瓶2点、土師器杯2点、土師器短頸壺1点が、棺上には須恵器短頸壺1点が副葬されていました。
 472号墳の地点でも木棺直葬墓を検出しましたが、棺上で破砕された状態で出土した須恵器横瓶は8世紀代のものとみられ、奈良時代の木棺墓の1例です。
 473号墳は471号墳前方部のコーナーを利用して尾根斜面に築造され、ほぼ南に開口する横穴式石室を内部主体とします。石室は完全に破壊されていましたが、右片袖式と考えられます。はとんど出土遺物はありませんでしたが、緑泥片岩製の組合形石棺を用いており、6世紀後葉の構築と見られます。
 新規検出の772号墳は小形横穴式石室で、やはり471号墳前方部のコーナーを利用して構築されています。須恵器短頸壺1点と鉄鏃2点が副葬されていました。6世紀後葉の構築とみられます。

巨勢山室古墓の調査

 471号墳前方部側面を大きくカットして構築されており、一辺5mほどの墳丘を伴う、南東面する平安初期(桓武朝、9世紀初頭)の古墓です。墳丘下にはいわゆる木炭木槨墓といわれる構造の主体部があり、まず、長さ3.4m、幅1.5mの大きな墓壙を穿ち、この中に木炭を敷き詰めた後、長さ2.2m、幅1.Omの木槨を設置し、さらにその中に長さ2.Om、幅0.6mの木棺(いずれも外法)を収め、木槨を木炭で包んでいます。
 棺内副葬品には
金銅装短刀、刀子、水晶丸玉などがあり、木槨上には石帯(巡方4点、丸鞆5点、鉈尾1点)や碁石とみられる白石6点、黒石2点などが撒かれていました。また、墓壙を埋めた木炭内からは須恵器水瓶や土師器杯などが出土しています。なお、木槨には蝦錠が付き、木槨・木棺に用いられた鉄釘の数は100点を超えます。
 以上から被葬者は、平安遷都で知られる桓武天皇に仕えた貴人であり、類例の少ない木炭木槨墓という手の込んだ構造の埋葬主体や副葬品の豪華さは、被葬者がかなり高位にあったことを想定させます。
 また、延暦15年(796年)以降、平安京への官人集住、すなわち「京貫」が徹底されるといわれますが、本古墓が大和で検出されたことについてどのように理解するのか、など多くの課題が提起されています。

金銅装短刀
巨勢山室古墓 金銅装短刀 出土状況

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