参考資料I 大宝令制定以前の官司名表記(木簡による)
A「官」
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鳩官
(園池司)
| 陶官
(筥陶司)
| 兵官
(兵部省)
| 舎人官
(左右大舎人寮など)
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B「職」
| 薗職
(園池司)
| 寒職
(関司)
| 膳職
(大膳職・内膳司)
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C「司」
| 薗司
(園池司)
| 薬司
(内薬司・典薬寮)
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D「その他」
| 伊都支宮
(斎官・斎宮寮〉
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()内は 当する大宝令制定以後の表記(推定も含む)
参考資料II 地方行政区分名称の変遷
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西暦 |
書紀紀年 |
干支 |
遺跡 |
記載内容 |
サト表記 |
1
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663 |
天智2年 |
癸亥年 |
法隆寺幡銘 *注 |
山部五十戸 |
五十戸 |
2 |
665 |
天智4年 |
乙丑年 |
石神遺跡(木簡(4) |
三野国ム下評大山五十戸 |
五十戸 |
3 |
667 |
天武6年 |
丁丑年 |
飛鳥池遺跡 |
三野国加尓評久々利五十戸 |
五十戸 |
4 |
677 |
天武6年 |
丁丑年 |
飛鳥池遺跡 |
三野国刀支評恵奈五十戸 |
五十戸 |
5 |
681 |
天武10年 |
辛巳年 |
静岡県伊場遺跡 |
柴江五十戸 |
五十戸 |
6 |
681 |
天武10年 |
辛巳年 |
石神遺跡(木簡(5) |
鴨評加毛五十戸 |
五十戸 |
7 |
683 |
天武12年 |
癸未年 |
藤原宮跡 |
三野大野評阿漏里 |
里 |
8 |
684 |
天武13年 |
甲申年 |
石神遺跡(木簡(7) |
三野大野評堤野里 |
里 |
9 |
687 |
持統元年 |
丁亥年 |
飛鳥池遺跡 |
若狭小丹評木津部五十戸 |
五十戸 |
10 |
691 |
持統5年 |
辛卯年 |
藤原宮跡 |
尾治国知多評入見里 |
里 |
11 |
691 |
持統5年 |
辛卯年 |
静岡県伊場遺跡 |
新井里 |
里 |
12 |
694 |
持統8年 |
甲午年 |
藤原宮跡 |
知田評阿具比里 |
里 |
※古代の地方行政区分は、「クニ―コホリ―サト」という構造になっており、大宝令施行(701年)以降は「国一郡一里」、それ以前は「国一評一里」もしくは「国一評一五十戸」と記されました。上の表で分かるように、サトにあたる表記は681年〜683年頃を境に「五十戸」から「里」へと変わっており、今回の調査で出土した木簡も同様の傾向を示します。ただし、一例のみ(9)ですがそれ以降にも「五十戸」表記の木簡が見られることから、全国一斉に表記変更があったのかどうかについては、検討の余地があるといえます。
*注 法隆寺に所蔵されていた幡(縦長の旗)に墨で記された銘文で、木簡ではない。
参考資料III 7世紀略年表
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西暦
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書紀紀年
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出来事
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内容
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1
| 645
| 大化元年 −
| 東国国司等への詔
| 東国・倭六県に対して造籍・校田を命じる
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2
| 646
| 大化2年
| 改新の詔
| 都民制廃止、戸籍制度導入/新税制の導入(調など)/コホリの設置、五十戸単位のサト編成 等の施政方針が決まる
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3
| 664
| 天智3年
| 甲子の宣
| 諸豪族支配下の民を民部と家部(*注)に分ける
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4
| 667
| 天智6年
| 近江遷都
| 都が飛鳥から近江国の大津宮へ移る
|
5
| 670
| 天智9年
| 庚午年籍
| 全国規模にわたって作られた最初の戸籍
|
6
| 671
| 天智10年
| 冠位法度の施行
| 官制などを新た整備する
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7
| 672
| 天武元年
| 壬申の乱
| 大海人皇子が勝利、都が飛鳥に戻る
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8
| 675
| 天武4年
| 部曲の配し
| 664年に定められた民部・家部を廃止
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9
| 681
| 天武10年
| 律令編簒開始の詔
| 律令の編簒が開始される
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10
| 683
| 天武12年
|
国境画定の開始
| 官人・工匠等により諸国の境界を定めさせる
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11
| 689
| 持統3年
| 飛鳥浄御原令の施行
| ただし令は未施行
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12
| 690
| 持統4年
| 庚寅年籍
| 令に基づいて作られたものとしては初の戸籍
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*注 民部=諸豪族の支配下にあるが、国家に所属する民とされたもの 家部=諸豪族が私有する民
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