配付資料
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恵解山古墳 第4次調査
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現地説明会資料(市埋文センター)|説明文|調査区配置図|第4次調査調査図|
長岡京市教育委員会の資料
|説明文|墳丘と調査地点の図と写真|副葬品埋納施設の実測図と写真|航空写真と地図|
京都府長岡京市教育委員会 |
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国史跡恵解山古墳(いげのやまこふん) 京都府長岡京市勝竜寺・久貝二丁目 恵解山古墳は、桂川右岸の標高わずか19mの台地端につくられた、乙訓地方最大の前方後円墳です。前方部を南南東に面し、その規模は、全長120m、後円部の直径60m、高さ8m、前方部の幅55m、高さ6mです。周囲に幅約30mの周濠があり、周濠を含めた古墳の全長は180mに及びます。古墳の表面には砂岩やチャートなどの葺石がふかれ、埴輪が並べられていました。死者を埋葬した施設は古くから墓地があるため明らかになっていませんが、後円部に竪穴式石室があったとみられます。 昭和55年、墓地の拡幅工事の際に前方部中央から少し後円部側へ寄った所で鉄器が出土しました。長岡京市教育委員会が緊急調査を行なった結果、組合せ式木棺と同じような木製容器に鉄製武器だけを埋納した施設が確認されました。出土した鉄器は、直刀146点、鉄剣11点、短剣52点、短刀1点、ヤス状鉄製品5点、蕨手刀子10点、鉄鏃472点の総数約700点近くに達しました。このような多量の鉄製武器が出土した例は山城地方ではもちろんのこと全国的にも珍しいものです。 こうしたことから、この古墳は5世紀前半頃に桂川以西の乙訓全域を支配した首長の墓と考えられます。 なお、古墳は昭和56年10月13日に国指定史跡、鉄製武器などの出土品は平成11年3月19日に京都府指定有形文化財としてそれぞれ指定されました。
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