写真館
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塚之越遺跡
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|発掘展示品|パネル展示(下長遺跡)|
下長遺跡の威儀具
威儀具(いぎぐ)とは、豪族が権力を誇示したり、民衆を統率し、支配するために使用した道具を呼びます。
下長遺跡からは儀杖(ぎじょう)、柄頭(つかがしら)、団扇(うちわ)形木製品などの威儀具が出土しています。儀杖はまつりや儀式に使われたと考えられる飾りのある杖で、柄頭は刀剣の装飾のある把手(とって)部分です。また、団扇形木製品は貴人の顔を翳(かざ)すために道具です。
時代は下がりますが、正倉院の宝物にもみられ、身分の高い人しか持つことができなかったと考えられています。儀杖には「組帯文(くみおびもん)」が、柄頭には「直弧文(ちょっこもん)」がそれぞれ施されています。これらの文様は大和政権と密接な関係のある地域でしか出土していないといわれ、この地域の豪族の権力の大きさが想像されます。
儀杖と準構造船
儀杖は、組帯文(くみおびもん)がレリーフされていて、有力豪族の所持品にふさわしい意匠が凝らされています。杖として儀式に使用されたものと考えられます。
準構造船は舳先(へさき)と、丸木を刳(く)り込んだ船底に舷側板(げんそくばん)を桜の皮で結合した部分が出土しました。船全体からみれば僅(わず)かな部分にすぎませんが、古墳時代の造船技術をはっきりさせた発見です。
琵琶湖岸では、これまでに近江八幡市、彦根市、米原町で準構造船が出土していて、古墳時代の琵琶湖の水運が確かめられています。湖岸から約3kmも内陸部に位置する下長遺跡からの出土によって、船による物資の流通が琵琶湖湖上にとどまらず、河川を遡上(そじょう)してまで行われていたと考えることができます。
下長遺跡はその集積地としての役割を担っていたのです。
他地域との交流
琵琶湖を北上して山越えすると日本海、北陸へ、南下して淀川水系を下れば大阪湾、近畿へ、野洲川を遡上(そじょう)すると伊勢湾、東海へと通じることが可能です。陸路が未発達であった古墳時代には、水上交通が輸送に大きな役割を果たしていたと想像されます。
滋賀県では、琵琶湖や淀川を利用した水上交通によって様々な文物を輸送したと考えられます。特に日本海沿岸の地域は朝鮮半島や大陸と交易していたと考えられ、守山には瀬戸内海経由だけでなく日本海地域からも朝鮮半島や大陸の文物がもたらされた可能性が考えられます。また、守山はこれらの地域を結ぶ交通の要衝(ようしょう)にあって、豪族は水上交通により権力を増大していったと考えられます。
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