長岡京右京二条三坊八町・九町 発掘調査現地説明会
長岡京右京二条三坊八町・九町 発掘調査現地説明会資料(調査1)
平成18年8月26日(土曜日)
財団法人京都市埋蔵文化財研究所
周辺調査遺構図(1:500)
1 はじめに
この調査は道路新設工事(中山石見線)に伴う発掘調査です。2002年度は調査地の南側を、2004年度には北側を調査し、縄文時代〜近世の遺構や遺物を発見しています。今回もこれらの遺構・遺物の検出を目的に発掘調査を実施しました。
2 周辺の調査
調査地のある大原野石見町は、旧石器時代〜古墳時代にいたる大原野石見町遺跡に含まれ、長岡京期では長岡京右京一条十四町にあたります。これまでに実施した調査では、縄文時代〜古墳時代の流路、古墳時代の竪穴住居・掘立柱建物、長岡京の一条条間南小路・坊間の南北両側溝・掘立柱建物、鎌倉時代から室町時代の集落などが発見されています。
3 発見した遺構
今回の調査では、江戸時代、室町時代末期から江戸時代初頭、長岡京期、古墳時代前期の遺構を発見しました。
江戸時代
- 井戸1〜4
- 井戸1〜3は素掘りの井戸で、いずれも直径約2.0mです。井戸3からは江戸時代後期〜明治時代の陶磁器がたくさん出土しました。また井戸4は円形の石組で、直径1.5m・深さ0.5mあります。
- 土壙5
- 調査区の南端で発見した長方形の土壙で、中央に信楽焼の甕が埋められていました。半地下式の室跡と考えられます。
室町時代末期〜江戸時代初頭
- 建物6
- 調査区北部で発見した掘立柱建物で、柱間は4間×3間(東西4.8m、南北3.9m)あります。
長岡京期
- 建物7
- 調査区東側で柱穴を4基、3間分(南北約5.2m)発見しました。掘立柱建物の西側柱列と考えられ、東は調査区の外に拡がっています。
- 柵8
- 建物7の西側に平行に並ぶ南北方向の柵で、建物7に伴う柵と考えられます。
古墳時代
- 土壙9〜11
- 調査区北半で、直径約0.3mの土壙を3基検出しました。土壙には、いずれも土師器の甕が据わった状態で出土しています。時期は古墳時代前期です。
4 まとめ
- 今回の調査地は、以前に実施した調査区と比較して、中世の遺構があまり見つかりませんでした。これは、当地が微高地状に高く、後世に削平されたためと考えられます。
- 長岡京期の建物が見つかったことは、長岡京の北西辺部まで条坊が整備されたことを物語っていると考えられます。
長岡京期の建物7・柵8(北から)
土壙10から出土した古墳時代の土師器甕(北から)
遺構平面図(1:100)