宇治川護岸遺跡(太閤堤) 現地説明会

平成19年(2007年)9月8日(土)
宇治市歴史資料館

※このページの文、図は、すべて当日配布の現説資料からの転載です。

調査場所 宇治市菟道丸山地内 発掘機関 宇治市歴史資料館 TEL0774ー39−9260
委託者 睦備建設株式会社 京阪電鉄不動産株式会社 発掘作業 NPO法人文化財支援センター
調査期間 平成19年6月18日開始 〜12月28日終了予定
発掘面積 現況1300m2(深さ釣1.5〜3.5m) 発掘理由 マンション建設に伴う緊急発掘
検出遺構 宇治川旧護岸遺跡 延長75m 出土品 中近世土器・瓦など整理箱1箱。

1.発掘調査のきっかけ

今回の発掘調査は、京阪宇治駅西側一帯に計画された土地区画整理事業に伴うもので、弥生時代から古墳時代にかけての集落遺跡を中心とする乙方遺跡の保護のため、文化財保護法に基づいて実施しています。このなかで、宇治川寄りの調査区から今まで存在がわからなかった大規模な宇治川旧護岸遺跡が発掘されましたので、その概要を報告します。

2.発掘された護岸遺跡の内容

護岸遺跡が発見されたのは、調査区の北端宇治川堤防東側の場所で、南北に長さ75mにわたって石積み護岸が極めてよい保存状態で検出されました。かつての宇治川右岸の護岸施設であり、江戸後期には洪水で埋没し陸化していたため、今まで存在がわからなかったものです。

護岸の規模は幅5.5m、高さ2.2mを測り、石出(いしだし)も1ヵ所見つかりました。護岸の構造は、傾斜30度の法面(のりめん)の下端に径20cmの松杭を打ち、割石を盛り上げて水流に備え、上半部から天端(馬路:ばふみ)にかけては割石をきれいに貼りつけ化粧としています。石出は、基部の幅約9m、長さ8.5mの平面台形状の石垣積で、内部には割石が充填され堅固に造られています。石出は水流から護岸を守る施設です。発掘状況でも上流側は水流をまともに受けて護岸破損が顕著なのに対して、下流側は当初の姿が良く保存されていました。この護岸施設に使われている石は粘板岩で、3kmほど上流の天ヶ瀬ダム付近の川岸から切り出されたものと考えられます。昭和54年に見つかった槇島堤遺跡でも同様な石が使われていました。

3.まとめ

今回見つかった護岸施設の築造年代については、出土遺物が少なく現状では正確に判定できませんが、次の3点から豊臣秀吉が築堤を命じた太閤堤に関係する治水施設であると考えられます。一つは、宇治川右岸に護岸が必要になる契機は、1594年から築堤が始まった槇島堤の造成に求められること。二つ目は今回の護岸の造成方法や石材が、以前に見つかった槇島堤遺構と同じこと。三つ目として、出土土器から見て護岸は1600年代後半には部分破損していたことです。今回の発掘は、いわゆる太閤堤の実態が初めて広範囲に明らかとなったばかりでなく、当時の大規模な治水の実像を具体的に知ることができる、全国的にも数少ない一級の発見であると考えます。

図1 巨椋池をめぐる堤
図1 巨椋池をめぐる堤

図2 位置図
図2 位置図

図3 『宇治郷総絵図』にみえる出し
図3 『宇治郷総絵図』にみえる出し

図4 A調査区平面図(1/250)
図4 A調査区平面図(1/250)

図5 部分名称図
図5 部分名称図