馬場南遺跡(神雄寺跡) 現地説明会資料

馬場南遺跡(神雄寺跡)発掘調査 現地説明会資料
木津川市教育委員会

平成21年1月17日(土)

万葉集巻第十2205番歌 注釈

木簡:
阿支波支乃之多波毛美智[・・・]
写本:
秋芽子乃 下葉赤 荒玉乃 月之歴去者 風疾鴨
よみ:
あきはぎのしたばもみちぬあらたまのつきのへゆけばかぜをいたみかも
釈文:
秋萩(あきはぎ)の下葉(したば)もみちぬあらたまの月(つき)の経(へ)ゆけば風(かぜ)をいたみかも
解釈:
秋萩の下葉が赤く紅葉した。(あらたまの)月が経って行くので、風が強いからだろうか。(新日本古典文学大系)
解説
万葉集巻十の「秋の雑歌」に収められた「黄葉(もみち)を詠みし四十一首」のうちの1首(2205番)である。上2句がよく似た歌に次の1首(2209番)がある。
秋萩(あきはぎ)の下葉(したば)の黄葉花(もみちはな)に継(つ)ぎ時過(ときすぎ)ぎ行(ゆ)かば後恋(のちこ)ひむかも
また、源実朝の「秋萩の下葉のもみぢうつろいぬ長月の夜の風の寒さに」(金槐和歌集)は、この歌に拠ったかとする説(沢瀉『注釈』)がある。

語釈:

○あきはぎ
萩は万葉集で最も多く歌われた植物であるが、この歌はその下葉が主題。万葉集ではハギの表記に「萩」の字は使われず、「芽子」「芽」、あるいは「波義」「波疑」と書く。「波支」は、日本語のハギの最古の表記例である(藤原2009)。
○したばもみちぬ
晩秋になると萩は、下葉から黄色く紅葉していく。萩に限らず、万葉集に81首のもみち(紅葉/黄葉)の歌があるが、「赤」という漢字を使用したのはこの歌だけである。万葉集原文の「赤」の一字を古写本以来「もみちぬ」としてきた読みが、「もみつる」とか「いろつき」とする写本や注釈書もあった中で、万葉集成立時期の木簡で確認された意義は大きい。

○「もみち」は、「もみた−もみち−もみつ−もみつ−もみて−もみて」と四段活用する動詞「もみつ」の連用形であろう。平安時代以後、「もみづ」と濁音化し、上2段活用(もみぢ−もみぢ−もみづ−もみづる−もみづれ−もみぢよ)するようになった。

○あらたまのつきのへゆけば
「あらたまの」は、月の枕詞。月が経るという表現は万葉集に20例以上見え、「ひと月が過ぎる」と解釈されることが多い。しかし、「何か月も経つ」という意味で使われる例もある(新日本古典文学大系、8・1464の注)。
○かぜをいたみかも
「かぜはやみかも」と読む説もあったが、現在はあまり行われていない。

○万葉集の色に関する研究では、黄色のイメージについて「黄葉は多くの場合、過ぎ去っていく時間、失われゆく恋人、あるいはそれにともなう無常感、といった場面に象徴的に登場するようだ」とされている。

歌の会に僧侶が同席している例

寺院や仏前で歌われた例(藤原2009)

○故郷の豊浦寺の尼の私房に宴せし歌三首
明日香川(あすかがわ)行(ゆ)き廻る岡の秋萩は今日降る雨に散りか過ぎなむ(8・1557)丹比真人国人
鶉(うずら)鳴く古(ふ)りにし郷(さと)の秋萩を思う人どち相見(あいみ)つるかも(8・1558)
秋萩は盛り過ぐるをいたづらにかざしに挿さず帰りなむとや(8・1559)

右2首は、沙弥尼(さみに)等

○仏前に唄ひし歌1首
しぐれの雨間(ま)なくな降りそ紅(くれない)ににほへる山の散らまく惜しも(8・1594)
右は[天平十一年]冬十月、[光明]皇后の宮の推摩講の終日(はてのひ)に、(以下略)

参考文献

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