馬場南遺跡(神雄寺跡)第5次発掘調査

2011(平成23)年2月19日(土)
木津市教育委員会

所在地名
京都府木津川市木津天神山地内
調査主体
木津川市教育委員会(教育長 久保三左男)
調査契機
市内重要遺跡の確認調査(平成22年度国庫補助事業)
調査期限
平成23年1月11日〜平成23年3月初旬(予定)
調査面積
約370m2

1.調査の目的と経過

馬場南遺跡(神雄寺跡)については、(財)京都府埋蔵文化財調査研究センターによる平成19年度の試掘調査(第1次調査)、平成20年度の本調査(第2次調査)において、関西文化学術研究都市木津中央特定土地区画整理事業地区内の調査を実施しています。この調査では、奈良時代の曲水状池跡から万葉歌木簡や大量の灯明皿,三彩の山水様陶器他、多数の貴重な遺物が出土しました。これらの調査成果をうけ、木津川市教育委員会では、平成20年度より追跡範囲確認調査に着手(第3次調査)し、現天神山裾においてついに神雄寺仏堂を確認したのです。その結果、この追跡が神雄寺という仏堂・礼堂を備えた法会主体の特異な寺院跡であることが判明しました。その後、平成21年度の第4次調査では、寺院背後の天神山谷奥において、境内の曲水状池跡に注ぐ源泉での「水の祀り」の痕跡を検出し、「神雄寺」の創建には水に由来する特別な信仰が背景として存在することを確認しました。

今年度の第5次調査は、木津川市が実施する本遺跡範囲確認調査(平成20〜23年度4年計画)の3年次にあたり、遺跡の保存と今後の国史跡指定を視野に、神雄寺の実態解明と範囲の確定を目指し、寺院背後の天神山丘陵上において、山上の祭祀あるいは山中での修行の痕跡を求める調査を実施しています。

2.調査の概要

  • 昨年度第4次調査では、大規模な燃燈供養が営まれた礼堂前の広場を囲む曲水状池跡の水源が天神山谷奥に存在し、しかもそこでの水源祭祀の存在は、寺院背後の丘陵部が聖地として神雄寺跡の重要な構成要素であることを確認しました。
    今回の第5次調査では、天神山の丘陵頂部から裾部にかけての平坦面に調査区を求め、計17本(501〜517Tr)のトレンチを設定し、調査を進めています。
  • 調査の結果、仏堂背後から東側の尾根頂部及び上部に設定した14本のトレンチ(502〜514,517Tr)では、なんら遺構遺物物の出土はなく、丘陵そのものが神雄寺の存立基盤としての聖域であることを確認しました。また、西側の文廻池に面して丘陵裾に設定した515・516Trでは、弥生時代中期の土器片や石包丁の出土をみましたが、神雄寺にかかる奈良時代の遺構・遺物は検出できていません。

ところが、仏堂西側の丘陵上を地形に沿って三日月状に成形した狭い平坦地に設定した501Trでは、3個の礎石と2か所の礎石据え付け痕跡を確認し、ここに塔が存在したことを明らかにしたのです。

検出した塔跡の建物は、心柱を支える心礎とその周りの四天柱を支える4個の礎石あるいはその据付け痕跡で構成されており、この4天柱の周りに通常みられる側柱の痕跡がないことから、4本の柱で屋根を支える1間(6尺=約1.8m)4面の特異な構造の層塔であったと考えられます。建物の主軸は、仏堂・礼堂と同様、真北に対して西に20度の傾きがみられ、同一の伽藍計画による占地であったことは明らかです。検出状況からは、多量の炭と焼壁土が建物内部とその周りに堆積しており、焼失したことがわかります。その後、多量の礫によって焼土が覆われていたことから、ここが石塚のような様相を呈していたようです。焼壁土の量と堆積状況からは、建物内部に集中していることから、心柱の周りに塔本塑像のような造形物が設えてあった可能性が考えられます。また、瓦の出土量が少ないことからは、瓦葺建物であったとは考えられません。

出土遺物としては、瓦片(軒丸・丸・平瓦)や焼壁土の他に、銭貨(和同開珎,万年通宝)や鉄釘と少量の土師器片があります。瓦は、小型のものではなく通常の大きさで、既往の調査でも出土している薬師寺式の軒丸瓦があります。

今回の調査成果を既往の調査成果と比較しながら検討すると、

  1. 仏堂・礼堂・塔の主軸がそろうことから、一連の計画的な伽藍計画を知ることができます。仏堂・塔から南側の曲水状池跡にかけての儀礼空間に対して、背後の聖域と前面から東側の俗地が区別されていることは重要です。また、塔の位置が曲水状池跡屈曲部のほぼ正面に置かれたことは、仏堂・礼堂の軸線に対して、いかにも考え抜かれた空間構成を示唆するものです。なお、池跡屈曲部周辺からかつて出土した相輪状の瓦製品や建築部材は、この塔に使用された可能性が考えられます。
  2. 現天神山山中には、修行の痕跡が希薄であり、礼拝の対象として機能していたと考えられます。塔は、奈良山を越えて山背国に入る者にとって、聖域としての現天神山を象徴的に示す役割を担っていたと考えられます。

3.調査成果のまとめと今後の課題

※「神雄寺」の範囲は、仏堂・塔のラインから礼堂前面に広がる大規模な儀礼空間,背後の聖域,曲水状池跡を隔てて外側の俗地によって構成されていた。

※「神雄寺」仏堂・塔の規模・構造等特異なありかたは、大規模な国家的仏教法会(燃燈供養,読経,楽の演奏,歌の朗詠etc)と対称的であり、特別な造営者の嗜好を示唆している。

南山城の古代寺院等分布団

南山城の古代寺院等分布団

1.恭仁宮跡 2.平城宮跡 3.平川廃寺 4.久世廃寺 5.正道廃寺 6.山肌寺跡 7.興戸廃寺 8.普賢寺 9.井手寺跡10.三山木廃寺 11.蟹満寺 12.下狛廃寺13.里廃寺 14.松尾廃寺 15.山背国分寺跡 16.法華寺野遺跡17.高麗寺跡 18.泉橋寺 19.鹿山寺跡 20.燈籠寺廃寺 21.神雄寺跡 22.釈迦寺跡 23.樋ノ口遺跡 24.山陵瓦窯跡 25.上人ヶ平遺跡 26.御陵地東瓦窯跡 27.歌姫瓦窯跡 28.瀬後谷瓦窯跡 29.梅谷瓦窯跡 30.音如ヶ谷瓦窯跡 31.歌姫西瓦窯跡 32.乾谷瓦窯跡 33.鹿背山瓦窯跡 34.銭司遺跡 35.石橋瓦窯跡 36.岡田池瓦窯跡 37.山背国衙?

神雄寺跡堂塔配置図(縮尺500分の1)

神雄寺塔跡実測図(縮尺100分の1)

第5次調査出土遺物

薬師寺式軒丸瓦
薬師寺式軒丸瓦

和同開珎/万年通宝
和同開珎/万年通宝

曲水状池跡出土遺物
曲水状池跡出土遺物

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